レシピの値段を聞いたら、調合の部長は三十秒黙った
前の会社では、この書類を出す側だった。出す側のときは、中身を読んでいなかった――設楽が、三拠点ぶんの説明を書いた七ヶ月の記録。
その原料は、一キロ三千二百円で海外の工場に売られていた。
国内の客には、同じものを一キロ四千百円で売っている。
なぜ九百円違うのか。
社内で、答えられる人が一人もいなかった。
設楽です。三十一歳。中途で入って二年目になる。
アサイン ―― 一月
クライアントは、香料と食品添加物を作っている会社だった。
飲料、菓子、冷凍食品のメーカーに売っている。
売上は四百三十億円。従業員は八百七十人。
海外に拠点が三つある。東南アジアに製造の拠点が一つ、同じ地域に販売の拠点が一つ、欧州に販売の拠点が一つ。
依頼の中身は、この三拠点との取引の価格について、説明する書類を作ることだった。
きっかけは、経理の担当役員の方が交代したことだ。
新しく来た方が、前任から引き継いだ資料の中に、その書類がないことに気づいた。
正確には、七年前のものがあった。七年、更新されていない。
フィーは二千八百万円。期間は七ヶ月。
チームは、パートナーの方が名前だけ入って、実働がマネージャーの石動さんと私と、三ヶ月だけ入る国際税務の専門の方の、実質三人。
私は中途で入って二年目だ。前の職場は電子部品のメーカーの経理で、海外の子会社の管理をしていた。
前の会社で、私は出す側だった
石動さんは、初回の打ち合わせで「設楽さん、これ前職でやってましたよね」と言った。
やっていた。
正確に言うと、同じ書類を、外のファームに作ってもらう側にいた。
当時の私がやっていたのは、依頼された資料をフォルダから探して送ることだった。
送って、出来上がってきた百二十ページくらいの冊子を受け取って、キャビネットに入れる。
中身は、読んでいない。
読んでいないことを、当時の私は問題だと思っていなかった。
今、同じ書類を作る側に座って、最初に思ったのがそれだった。
あのとき私が送った資料は、たぶん足りていなかった。
足りていないまま、誰かが埋めたのだと思う。
立ち上がりの六週間 ―― 何が足りないのかを数える
最初の六週間は、ほとんど資料の請求だった。
請求した資料の一覧は、エクセルで百七十三行になった。
三拠点ぶんの財務諸表、組織図、取引の契約書、価格の決定の記録、人員の配置、機能の分担。
返ってきたのは、最初の二週間で六十一行ぶんだった。
残りの百十二行のうち、半分くらいは「どこにあるか分からない」という回答だった。
契約書は、三拠点とも見つかった。
ただし、東南アジアの製造拠点との契約書は、日付が十一年前だった。
契約の中身を読むと、原料を売る価格は「別途協議のうえ定める」と書いてある。
別途協議の記録は、ない。
販売の拠点の二つは、契約書に料率が書いてあった。売上の一定の割合を手数料として受け取る形だ。
その率が、二つの拠点で違った。欧州のほうが高い。
なぜ高いのかを聞いた。
欧州の拠点の方は、「こちらのほうが立ち上げに時間がかかったからと聞いています」と答えた。
立ち上げは、九年前の話だった。
「昔からこの率」
製造の拠点に売っている原料の価格に、話を戻す。
一キロ三千二百円という価格は、どこで決まっているのか。
購買と営業と経理に、順番に聞いた。
三人目の、経理の課長の方が、「原価に率を掛けてます」と言った。
率は、何パーセントですか、と聞いた。
「昔からこの率です」と言われた。
その率を決めた人は、もう退職していた。
決めたのは、たぶん十年以上前だ。
その十年のあいだに、原料の調達先は変わっている。工場の自動化も進んだ。
率だけが、動いていなかった。
石動さんは、この話を聞いて「これが本筋です」と言った。
本筋というのは、この案件で最後まで残る論点、という意味だった。
レシピの値段 ―― 三月
三拠点のうち、いちばん難しいのが、製造の拠点だった。
そこでは、国内から送った原料を使って、現地向けの香料を調合している。
調合の処方――レシピは、国内の研究所が作ったものだ。
現地には、それを実行する設備と人がいる。
つまり、利益を生んでいるものの一部が、国内で作られた無形のものだということになる。
その対価を、取引の価格のどこかに含める必要がある。
含めるには、値段をつけないといけない。
調合の部長の方に、会いにいった。
五十四歳。研究所に二十九年いる方だった。
私は、「この処方に、価格をつけるとしたらいくらになりますか」と聞いた。
その方は、三十秒くらい黙った。
数えていたわけではないが、長かった。
それから、「そういう聞き方をされたことがない」と言った。
そのあと、「開発にかかった費用なら出せる」と言われた。
費用は出せる。費用と価値は違う。
違うのだが、違うことを説明する言葉を、私はその場で持っていなかった。
現地に行った五日間 ―― 四月
東南アジアの製造の拠点に、五日間行った。
行った目的は、機能の分担を自分の目で確認することだった。
書類の上では、現地は「国内の指示に基づいて製造する」ことになっている。
工場は、思っていたより大きかった。従業員が百六十人いる。
調合の工程を見た。タンクに原料を入れて、順番に混ぜる。
順番と温度と時間が、処方に書いてある。
現場で作業をしていた方に、通訳を介して聞いた。
「この順番を変えることはありますか」
変えることはある、と言われた。
湿度が高い日に、ある原料が固まりやすい。そのときは、先に別の原料を入れて温度を上げる。
それは処方に書いてあるかと聞くと、書いていないと言われた。
書いていないことを、現場が判断している。
このやりとりを、私はメモに三行で書いた。
三行が、文書の中の一段落になった。
工場長の方とは、二回話した。日本から出向している五十一歳の方だった。
その人は、「ここは言われたとおりに作ってるだけ、という書き方はやめてほしい」と言った。
やめてほしい理由は、税務の話ではなかった。
現地の人が読んだときに、そう読まれるのが嫌だ、ということだった。
文書は現地の言葉にも訳される。訳されたものを、現地の管理職が読む。
そこまで、私は考えていなかった。
宿は、工場から車で四十分のところだった。
朝六時半に出て、夜九時に戻る。五日のうち四日、夕食はホテルの一階で同じものを食べた。
事実から固める
石動さんに相談した。
石動さんは、「金額の前に、誰が作って誰が維持しているかを固めましょう」と言った。
やったのは、処方の管理の実態を調べることだった。
処方は、国内の研究所のサーバーにある。
現地の工場には、そのうち実行に必要な部分だけが渡っている。
現地が独自に改変しているかどうかを聞いた。
改変は、している。原料の入手の都合で、一部を差し替えることがある。
差し替えるとき、国内の承認を取っているか。
取っている場合と、取っていない場合があった。
取っていない件数を数えた。直近二年で、十四件あった。
十四件のうち、九件は、現地の判断で終わっていた。
この九件は、文書の書き方を変える材料になった。
現地にも、一定の機能がある。全部が国内の貢献ではない。
事実が、計算の前に来る。これが、この三ヶ月でいちばん学んだことだった。
比較する会社を選ぶ ―― 五月
利益率の幅を置くために、似たような会社を選ぶ作業がある。
公開されている企業のデータベースから、条件で絞っていく。
条件は、業種、地域、規模、それに「無形資産を持っていないこと」だ。
最後の条件が、いちばん面倒だった。
研究開発費が売上に対して一定の割合を超える会社は、外す。独自のブランドを持っている会社も、外す。
外していくと、候補が減る。
最初に機械的に絞って残ったのが二百十四社。
そこから一社ずつ事業の内容を読んで、外していった。
読む作業は、私が全部やった。一社あたり五分から十分。
三日半かかって、残ったのが十九社だった。
十九社の利益率を並べると、下から四分の一のところが二・一パーセント、上から四分の一のところが六・八パーセントだった。
この幅を使うことにした。
国際税務の専門の方は、「十九社は少し少ない」と言った。
少ないと、幅が偶然で動く。
もう一度条件を緩めて、二十八社まで増やした。増やすと、幅は一・七から七・四に広がった。
どちらを使うかで、半日議論した。
結論は、二十八社のほうにした。広いほうが、あとで説明しやすいという理由だった。
説明しやすいという理由で決めたことを、私は少し気にしている。
中間報告 ―― 五月の終わり
中間の報告で出したのは、三拠点の機能の分担の整理と、幅の案だった。
会議室に七人いた。
担当役員の方が、最初に聞いたのは「で、今の値段はこの幅に入っているんですか」だった。
入っていなかった。
製造の拠点の去年の営業利益率は、九・三パーセントだった。幅の上を超えている。
超えているということは、現地に利益が多く残っているという意味になる。
役員の方は、「それは、向こうの国にとっては嬉しい話だな」と言った。
そのとおりだった。
この話は、どちらの国の税務当局から見るかで、向きが変わる。
国内から見れば、利益が外に出すぎている。
現地から見れば、問題はない。
両方から見て説明がつく形にする、というのがこの仕事の目的だと、そのとき初めて自分の言葉で言えた。
言えたときには、案件が始まって四ヶ月が過ぎていた。
読み合わせ ―― 六月
文書の草案は、英語と日本語の両方で作った。
三拠点ぶんで、合計二百四十ページくらいになった。
六月に、読み合わせをやった。
経理の課長の方と、国際税務の専門の方と、私の三人で、一文ずつ読む。
朝十時から、昼を挟んで十八時まで。これを四日間やった。
四日目の午後に、声が枯れた。
机の上に、のど飴が四個並んでいた。二個は私が買って、二個は課長の方がくれた。
枯れた声のまま、「ここの訳が逆です」と言った箇所がある。
機能の分担を説明する段落で、「現地が主導する」と「国内が主導する」が入れ替わっていた。
入れ替えたのは私だ。
二百四十ページのうち、こういう間違いが、全部で十九箇所見つかった。
十九箇所見つかって、「あと何箇所あるか分からない」と思った。
思ったことは、言わなかった。
最終報告 ―― 七月
出したものは、文書一式と、取引価格の改定の案だった。
改定の案は、二つある。
一つ、製造の拠点への原料の価格を、原価に掛ける率ではなく、拠点の営業利益率が一定の幅に収まるように決める形に変える。
幅は、同じような会社を何社か選んで、その利益率の分布から置いた。
もう一つ、処方の対価を、別立ての支払いとして契約に入れる。率は、改定後の数字に含める形にした。
役員の方の質問は、一つだった。
「これで、調査が来ても大丈夫ですか」
私は、「大丈夫とは言えません」と答えた。
言ったあとで、言い方がよくなかったと思った。
石動さんが引き取って、「説明できる形には揃いました」と言い直した。
役員の方は、「じゃあ、それでいい」と言った。
その場は、それで終わった。
生活 ―― 三十一歳
年収は八百二十万円。前職より百八十万円上がった。
上がったぶん、住民税が去年より月に一万円以上増えた。
その通知が来たのが六月で、読み合わせの四日間の二日目だった。
家賃は十一万五千円。妻と二人で住んでいる。子どもはいない。
身体の話を二つ。
一つは、声だ。四日間の読み合わせのあと、一週間くらい低い声しか出なかった。
もう一つは、肩だ。
英語と日本語を左右に並べて見るので、二十七インチの画面を横に使っていた。
首を左右に振る角度が大きい。右の肩甲骨の内側が、七月はずっと痛かった。
整骨院に三回行った。一回二千八百円だった。
後記 ―― 一年後
経理の課長の方から、メールが来た。
改定した価格で、一年ぶんの実績が出たという内容だった。
製造の拠点の営業利益率は、置いた幅の中に入っていた。
販売の拠点のうち、欧州のほうは、幅を下回った。
下回った理由は、現地の人件費が上がったからだと書いてあった。
来年、率をもう一度見直すらしい。
見直すのは、ファームを使わずに社内でやると書いてあった。
メールの最後に、「設楽さんが作ったエクセルを使っています」とあった。
私が作ったエクセルは、拠点ごとの利益率を毎月見るためのものだ。
シートが六枚ある。使っているのは、たぶん二枚だと思う。
調査が来たかどうかは、書いていなかった。
来ていないのか、来たけれど書かなかったのか、分からない。
この書類が正しかったかどうかは、調査が来るまで分からない。
来ないまま五年が過ぎれば、たぶん分からないままだ。
前の会社のキャビネットにあった冊子も、そうだったのだと思う。
読まなかった私は、あれを正しいと思っていたわけではない。
正しいか正しくないかを、考えていなかっただけだ。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。