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体験記 No. 106

年に二件しか来ない窓口を、来る窓口に作り替える仕事だった

案件中堅ゼネコン・内部通報制度の再設計と企業倫理の浸透
話の中心立ち上がり
語り手桐谷 美砂 / 36歳・マネージャー3年目
読了約9分 · 5,500字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
年2件が47件にうち41件は人間関係

件数を増やすのが仕事だった。増えたあとで、増えたものが何だったのかを考えた――桐谷が、窓口の電話番号を社員証の裏に印刷するまでの九ヶ月。

去年、この会社に届いた内部通報は、二件だった。

一昨年は、一件。その前の年は、ゼロ。

従業員は、千三百四十人いる。

三年で三件というのは、千三百四十人のうち、一年に一人も使っていないということだ。

桐谷です。三十六歳。マネージャーになって三年目になる。

アサイン ―― 四月

クライアントは、売上が九百八十億円の建設会社だった。

本社のほかに、支店が六つ。作業所は、常時で四十くらい動いている。

依頼は、内部通報の制度を作り直すことと、企業倫理の研修を設計することだった。

きっかけは、取引先の会社で問題が起きたことだと聞いた。

直接の関係はない。ただ、取締役会で「うちは大丈夫か」という話が出た。

総務部長の方が、「窓口はあります」と答えた。

「何件来ていますか」と聞かれて、答えられなかった。

調べたら、三年で三件だった。

フィーは二千六百万円。期間は九ヶ月。

チームは三人。パートナーの方が月に一度出て、実働は私と、二年目の人。

窓口は、どこにあったか

最初に、既存の窓口を確認した。

規程はあった。十六ページある。七年前に作られていた。

規程の中に、窓口の連絡先が書いてある。

総務部のコンプライアンス担当のメールアドレスだった。

そのアドレスは、総務部長の方の個人のアドレスに転送される設定になっていた。

つまり、通報すると、総務部長に直接届く。

総務部長の方は、五十七歳で、この会社に三十四年いる。

社内で知らない人はいない。

その人に、自分の名前で、上司のことを書いて送る。

送る人がいるとしたら、よほどのことだ。

よほどのことが、三年で三件あった、ということになる。

三件の中身も、見せてもらった。

見せてもらうにあたって、総務部長の方と社長の方の了解を取るのに、二週間かかった。

名前の部分は、黒く塗られていた。

三件のうち二件は、同じ作業所から出ていた。

残りの一件は、本社の部署からだった。

いずれも、処理の記録が残っている。

記録の書式は、A4で一枚。受付の日、内容の要旨、対応、完了の日。

一件目は、受付から完了まで四日だった。

二件目は、十一日。

三件目は、記録の「完了の日」の欄が空欄だった。

空欄の理由を聞いた。

総務部長の方は、「これは、本人が取り下げました」と言った。

取り下げた、というのが、どういうことかは聞かなかった。

聞かなかったのは、聞いても分からないと思ったからだ。

いま思うと、聞くべきだったかもしれない。

その一件が、この会社の窓口が使われない理由を、いちばん短く説明していた可能性がある。

周知の実態

規程があることを、社員は知っているのか。

これを確かめる方法が、最初は思いつかなかった。

総務部長の方に、「周知はどうされていますか」と聞いた。

「社内報に載せています」と言われた。

社内報を見せてもらった。年に四回出ている冊子だ。

内部通報の案内は、毎号の最後のページの下のほうに、七行あった。

七行の中に、メールアドレスが書いてある。

字の大きさは、本文より小さかった。

二年目の人が、過去三年ぶんの社内報を数えた。十二号ある。

十二号すべてに、同じ七行が、同じ位置に載っていた。

同じ位置に三年間あるものは、見えなくなる。

このことを、私は資料に「掲載はされているが、認知されていない可能性が高い」と書いた。

書いたあとで、「可能性が高い」では弱いと思った。

作業所に行く ―― 五月から六月

認知の実態を確かめるために、作業所を回ることにした。

六つの支店から、合計で十一の作業所を選んだ。

規模を散らした。大きいものから小さいものまで。

作業所に入るには、ヘルメットと安全帯と、安全靴がいる。

会社から借りた。ヘルメットは、Mサイズだった。

髪が、潰れる。

朝に結んで、ヘルメットをかぶって、昼に外すと、頭の形が変わっている。

午後に本社で打ち合わせがある日は、車の中で結び直した。

結び直しても、戻らない。

十一の作業所で、合計で六十三人に話を聞いた。

所長、職員、それに協力会社の方にも何人か。

聞いたのは、三つだった。

内部通報の窓口があることを知っているか。どこに連絡するか知っているか。使おうと思ったことがあるか。

六十三人の答え

知っている、と答えたのが、二十九人だった。四十六パーセントだ。

連絡先を知っている、と答えたのが、四人。

使おうと思ったことがある、と答えたのが、一人だった。

その一人は、三十代の職員の方だった。

使おうと思って、やめた理由を聞いた。

「総務に行くんでしょう」と言われた。

総務に行くと、どうなるんですか、と聞いた。

その人は、少し考えてから、「どうもならないと思います」と言った。

どうもならない、というのは、処理されないという意味ではなかった。

処理はされる。処理されたことが、自分に返ってくる。そういう意味だった。

小さい会社ではない。千三百四十人いる。

それでも、支店の単位で見ると、顔が見える範囲だ。

所長たちの話

作業所で話を聞いたとき、所長の方々の反応が、ほかの人と違った。

六十三人のうち、所長は十一人いる。

十一人のうち七人が、聞かれる前に「うちは、そういうのないです」と言った。

ないです、というのは、不正がないという意味だった。

その七人に、「相談を受けたことはありますか」と聞き方を変えた。

変えると、答えが変わった。

七人中六人が、「ある」と答えた。

中身は、人の配置のこと、協力会社との揉めごと、若い職員が辞めたいと言ってきた話。

つまり、相談は作業所の中で止まっていた。

止まっているのは、悪いことではない。所長が処理できるなら、そのほうが早い。

問題は、所長自身に関する話が出たときに、どこにも行き場がないことだった。

このことを、五十二歳の所長の方が自分から言った。

「俺のことは、誰に言うんだろうな」

笑いながら言っていた。

笑いながら言ったことを、私は資料に書いた。書くときに、笑っていたことは書かなかった。

外部の窓口

設計の方向は、三つに絞った。

一つ、受付を社外に置く。弁護士事務所か、専門の会社に委託する。

二つ、匿名で受け付けられるようにする。受付の番号だけで、やりとりが続く仕組み。

三つ、連絡先を、見える場所に置く。

三つ目が、いちばん地味で、いちばん議論になった。

私たちが提案したのは、社員証の裏に印刷することだった。

社員証は、全員が毎日持つ。作業所でも、首から下げている。

総務部長の方は、「社員証は、作り替えに金がかかります」と言った。

見積もりを取ってもらった。千三百四十人ぶんで、八十二万円だった。

八十二万円は、この会社の年間の広告宣伝費の、百分の一にもならない。

その数字を出して、通った。

匿名で、どこまで

設計で、最後まで揉めたのが、匿名の扱いだった。

匿名で受け付けると、調査がしにくい。

誰がいつ何を見たのかが分からないと、確認のしようがない場面がある。

総務部の方は、「匿名だと動けません」と言った。

そのとおりだ。

ただ、匿名でなければ、そもそも来ない。

落としどころとして、二段にした。

受付は匿名でできる。受付の番号を使って、通報した人が追加の質問に答えられる仕組みにする。

答えるかどうかは、本人が決める。答えなければ、そこで止まる。

止まったものは、記録には残す。残して、同じ作業所から複数来たときに、まとめて見る。

この「まとめて見る」の部分を、私は押した。

一件では動けなくても、三件あれば見にいける。

総務部長の方は、「それは、いいですね」と言った。

いまのところ、この仕組みでまとめて見た例は、まだない。

顧問弁護士との打ち合わせ

受付を委託する先を決めるのに、三ヶ月かかった。

候補を五つ比較した。費用と、受付の時間と、報告の形。

顧問の弁護士事務所にも、話を聞きにいった。

その事務所の先生は、六十代の方だった。

一時間半、話をした。

話の中身は、匿名の通報をどう扱うか、調査の着手の基準をどう置くか、といったことだった。

有益だった。

打ち合わせのあと、総務部の方が「今日のは、請求が来ます」と言った。

時間単価が、五万円だと聞いた。一時間半で七万五千円。

私の一日の単価は、それより高い。

高いことを、その場で言う必要はなかった。

言わなかったが、頭の中で計算した。計算したことを、あとで少し恥ずかしく思った。

中間報告 ―― 九月

中間の報告で出したのは、新しい制度の設計と、周知の計画と、研修の構成だった。

研修は、全員が受ける三十分のものと、管理職が受ける二時間のものの二段にした。

三十分のほうは、動画にした。

内容は、制度の説明が十分、残りの二十分が事例だ。

事例は、十二個作った。

作るときに、この会社で実際に起きた話は使えない。三件しかないし、使ったら特定される。

だから、公開されている他社の事例を一般化して、業種が分からない形に書き直した。

書き直したものを、総務部長の方に見てもらった。

その人は、十二個のうち三つに印をつけて、「桐谷さん、これは、うちで起きそうです」と言った。

どれかは、書かない。

新しい窓口 ―― 十月から

十月一日に、新しい窓口が開いた。

社員証の裏に、電話番号とQRコードが印刷された。

全社のメールで案内を出し、全作業所に掲示を貼った。研修の動画も、同じ週に配信した。

最初の一ヶ月で、六件来た。

三年で三件だった会社に、一ヶ月で六件だ。

総務部長の方は、「多いな」と言った。

多い、という言葉に、どういう感情が入っているかは分からなかった。

四十七件

翌年の三月までの六ヶ月で、合計で四十七件になった。

内訳を見た。

ハラスメントに関する相談が、二十二件。

職場の人間関係、業務の分担、評価への不満が、十九件。

ここまでで、四十一件になる。

残りの六件が、業務の進め方や、経費の処理に関するものだった。

そのうち、調査に進んだのが二件。二件とも、事実ではなかったか、軽微なものだった。

つまり、不正の通報は、増えていない。

増えたのは、相談だった。

書きそうになったこと

三月の最終の報告の資料を作っていたとき、私は「通報件数が二十三倍に増加」というページを作った。

作って、二年目の人に見せた。

その人は、「これ、何が良くなったんですか」と聞いた。

答えられなかった。

件数が増えたことは、窓口が機能しはじめたことの証拠にはなる。

ただ、増えた四十一件は、不正の通報ではない。

もともと、どこにも行き場がなかった相談が、ここに流れてきただけだ。

流れてきた先に、それを処理する体制があるかというと、ない。

総務部の二人が、四十七件を読んでいる。

二人で四十七件は、読める。来年が百件になったら、読めない。

このことを、最終の報告に入れた。

「件数の増加は成果ではなく、負荷である」という書き方にした。

パートナーの方は、この書き方を「いいと思う」と言った。

役員の方々は、あまり反応しなかった。

生活 ―― 三十六歳

年収は千百万円くらいだ。家賃は十三万五千円。夫と二人で住んでいる。

この案件の稼働は、月に六十時間から八十時間。作業所を回った五月と六月が、いちばん多かった。

作業所は、朝が早い。七時半に入る日が、十一日のうち七日あった。

朝五時半に起きて、電車で行く。遠い支店のときは、前泊した。

身体の話を二つ。

一つは、髪だ。ヘルメットの話は書いた。

六月に、美容院で「短くしますか」と聞かれて、十センチ切った。

切ってから、ヘルメットの跡が目立たなくなった。切った理由を、人には言っていない。

もう一つは、喉だ。

研修の動画のナレーションの原稿を、二年目の人と声に出して読み合わせた。

三十分の動画で、原稿が八千字ある。

三回読んで、三回目で声が低くなった。

結局、ナレーションは専門の方に頼んだ。私たちの声は使われていない。

後記 ―― その年の六月

案件が終わって三ヶ月後に、総務部長の方からメールが来た。

五月に、社長宛に手紙が届いたという話だった。

封筒に、差出人の名前はない。

中身については、書かれていなかった。

書かれていたのは、「窓口は使われませんでした」という一行だった。

新しい窓口は、匿名で受けられる。外部が受ける。社員証の裏に番号がある。

それでも、その人は手紙を選んだ。

理由は、分からない。

窓口を知らなかったのかもしれない。知っていて、信じなかったのかもしれない。

あるいは、社長に直接読んでほしかっただけかもしれない。

総務部長の方は、メールの最後に「制度のせいではないと思います」と書いていた。

そう書いてくれたことが、たぶん気遣いだった。

気遣いだと分かるので、余計に落ち着かなかった。

四十七件は、いまも増えているらしい。

手紙のことは、それきり聞いていない。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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