根拠は「他の二十一社がそうしているから」でした
桁が二つ多い数字を、私はエクセルの一行で動かしました。動かしたあとで、根拠を探しました――瓜生が、報酬委員会の端の椅子に座った五ヶ月。
社長の報酬は、六千八百万円でした。
全額が、固定の報酬です。
業績が良い年も悪い年も、六千八百万円です。
私の年収は、七百四十万円です。
九倍と少し、違います。
この二つの数字を、私は五ヶ月のあいだ、同じ画面で見ていました。
瓜生です。二十六歳。入社して四年目になります。
アサイン ―― 二月
クライアントは、歯科の材料と機器を作っている会社でした。
上場しています。売上が二百十億円、従業員が七百六十人。
作っているのは、充填材、印象材、それと診療台の周辺の機器です。
社長は五十八歳で、創業家の三代目でした。株を十二・四パーセント持っています。
依頼は、役員の報酬制度を作り直すことでした。
固定の報酬だけの構成を、業績に連動する部分と株式で渡す部分に分ける。
きっかけは、前年の秋に機関投資家との面談で言われたことだそうです。
「報酬が業績と連動していませんね」と、三十分の面談で二回言われた、と聞きました。
それと、前の年に報酬委員会を作っていました。作ったのに、議題がなかったそうです。
フィーは千五百万円。期間は五ヶ月。
チームは、シニアマネージャーの蕪木(かぶらぎ)さんと、マネージャーの方と、私の三人です。
私は、人事のチームではありません。財務のチームから一人だけ呼ばれました。
呼ばれた理由は、有価証券報告書を読むのが速いから、だそうです。
最初の二週間でやったこと
やったのは、数字を集めることです。
上場している会社は、役員の報酬の総額を、有価証券報告書に書いています。
一億円以上をもらっている人は、個別に名前と金額が出ます。
一億円未満だと、取締役何名に総額いくら、という形になります。
だから、社長一人の金額は、外からは分からない会社が多いです。
分からないので、総額を人数で割った平均を使います。
この「割った平均」を、私は二十一社ぶん作りました。
二十一社を選んだ基準は、二つです。
一つ、売上が百億円から四百億円のあいだ。
二つ、医療機器または歯科の関連。
この二つで機械的に絞ると、二十一社になりました。
選定の作業は、三日で終わりました。
三日で終わったことを、私はそのとき良いことだと思っていました。
そのあとの数字を集める作業は、九日かかりました。
一社につき、有価証券報告書の百二十ページくらいの中から、二箇所を読みます。
役員の報酬の欄と、大株主の欄です。
役員の報酬の欄は、会社によって書き方が違います。
取締役と監査役を分けている会社、社内と社外を分けている会社、分けていない会社。
分けていない会社は、平均を出すときに人数の取り方で数字が変わります。
二十一社のうち、四社が分けていませんでした。
この四社について、私は社外取締役の人数を別の資料から引いて、手で割りました。
手で割った数字は、注記をつけました。注記は、資料の脚注に小さく入りました。
小さく入れたので、誰も読んでいません。
分位にする
二十一社の数字を並べて、分位を出しました。
社長に相当する人の報酬の中央値が、四千九百万円でした。
第三四分位が、六千二百万円。
いちばん高い会社が、一億一千万円。
クライアントの六千八百万円は、第三四分位より上です。上から五番目でした。
この位置を、蕪木さんに最初に見せたとき、「で、どうしますか」と言われました。
水準を下げる提案はしない、という前提が、その質問の中にありました。
下げないなら、構成を変えるだけです。
総額の六千八百万円を据え置いて、中身を割る。
固定を六割、短期の業績連動を二・五割、中長期の株式報酬を一・五割。
四千八十万円、千七百万円、千二十万円です。
株式で渡す部分は、事後に交付する形にしました。
三年間の業績の達成度で交付する株数が変わって、交付されたあとも一定の期間は売れない。
千二十万円を、株価千八百四十円で割ると、五千五百四十株です。
この会社の発行済株式は、千四百二十万株あります。
五千五百四十株は、〇・〇三九パーセントです。
この割合を電卓で出したとき、私は何も思いませんでした。
思わなかったことが、あとで引っかかります。
この割り方の根拠も、二十一社の表から取りました。
二十一社のうち、構成を開示している十四社の平均が、だいたいこの比率でした。
指標を選ぶ ―― 四月
短期の業績連動に、何を紐づけるかを決める作業をしました。
候補を六つ出しました。
営業利益、売上高、ROIC、営業利益率、新製品の売上比率、それと従業員の意識調査の点数。
社長の方と、二度話しました。
一度目に、その人は「営業利益でいいでしょう」と言いました。
二度目に、私は新製品の売上比率を入れることを提案しました。
理由は、この会社の新製品の比率が、五年で十八パーセントから十一パーセントに下がっていたからです。
その人は、資料を見て、少し黙りました。
それから、「これは、二年では動かないですよ」と言いました。
動かない指標を報酬に紐づけると、はじめから取れない点になります。
その指摘は正しかったです。
結果として、営業利益を七割、ROICを三割にしました。
新製品の比率は、入りませんでした。
入らなかったことを、私は議事録の末尾に一行だけ書きました。
書いたことを、あとで思い出すことになります。
議事録は、私が書いていました。
四月の議事録は、二ページです。
二ページのうち、営業利益とROICの話が一ページ半あります。
新製品の比率の話は、三行です。
三行の最後が、「中長期の指標として別途の検討が必要」でした。
別途、の中身は決めていません。決めないまま、そう書きました。
マネージャーの方は、その一行を読んで「これは入れておいていい」と言いました。
入れておいていい、というのは、「いま戦う必要はない」という意味です。
その判断を、私は正しいと思いました。
いまも、半分くらいは正しいと思っています。
報酬委員会 ―― 五月
報酬委員会は、社外取締役が三人と、社長の方の四人で構成されていました。
私は、部屋の端の椅子に座りました。
説明するのは蕪木さんで、私は資料をめくる係です。
資料は四十二ページありました。
会議の時間は九十分です。
その部屋は、暑かったです。五月の下旬で、空調がまだ冷房に切り替わっていませんでした。
ジャケットを脱いでいいかどうか分からなかったので、着たままいました。
四十五分くらいで、背中が濡れました。
買ったばかりのスーツでした。七万二千円のものです。
革靴も新しくて、左のかかとが痛かったです。
「何社ですか」
二十一社の表を説明したところで、社外取締役の一人が手を挙げました。
六十三歳の方で、前職は別の業種の会社の財務の責任者だった方です。
その人は、こう聞きました。
「この二十一社のうち、創業家の方が社長をやっているのは何社ですか」
私は、答えを持っていませんでした。
蕪木さんも持っていませんでした。
蕪木さんは、「確認してご報告します」と言いました。
その人は、「お願いします」と言って、それ以上は言いませんでした。
言われたことの意味は、その場で分かりました。
創業家の社長は、株を持っています。
株を持っている人にとって、株式報酬の意味は、持っていない人と違います。
十二・四パーセント持っている人に、報酬として〇・〇二パーセント渡すことに、どれだけの意味があるか。
それに、創業家の社長は、簡単には交代しません。
交代しない人の報酬を、他社と比べる意味がどこまであるか。
私が三日で選んだ二十一社は、その違いを一切見ていませんでした。
数えた
事務所に戻って、二十一社を一社ずつ調べました。
有価証券報告書の大株主の欄と、役員の経歴を読みます。
二十一社のうち、創業家の方が社長をやっているのは、二社でした。
二社です。
残りの十九社は、社内から昇格した人か、外から来た人です。
つまり、私が作った比較の表は、十九対一の比率で、別の立場の人の報酬を並べたものでした。
その夜、私は表を作り直しました。
二社だけでは分位が出ません。
基準を変えて、創業家または創業家の資産管理会社が五パーセント以上を持っている会社、という条件で絞りました。
それだと、七社になりました。
七社の社長の報酬の中央値は、三千八百万円でした。
四千九百万円ではなく、三千八百万円です。
クライアントの六千八百万円は、七社の中でいちばん高い金額になりました。
この数字を、私は蕪木さんに持っていきました。
蕪木さんの判断
蕪木さんは、七社の表を二分くらい見て、こう言いました。
「これは、出します」
出さない選択もあったと、あとで思います。
委員会から求められたのは「二十一社のうち何社か」という事実の確認だけです。
七社で引き直した表は、求められていません。
蕪木さんは、「聞かれたことに答えるだけだと、次に同じことを聞かれます」と言いました。
それから、「水準を下げる話にはしません」とも言いました。
実際、下げませんでした。
出した結論は、こうです。
総額の六千八百万円は据え置く。ただし、固定の部分を五千万円まで下げる。
連動する部分を、達成度に応じて〇から三千四百万円の幅で動く形にする。
つまり、全部が取れれば八千四百万円、取れなければ五千万円です。
幅を広げることで、水準の高さを「成果次第」に置き換えた、ということです。
置き換えた、という言い方を、私は資料には書きませんでした。
書かなかった代わりに、幅のグラフを作りました。
横軸が達成度で、縦軸が総報酬です。
折れ線が右上がりに伸びていて、いちばん左の端が五千万円、右の端が八千四百万円です。
このグラフの左の端のことを、私は説明で一度も触れませんでした。
触れなかったのは、質問されなかったからです。
質問されなかった理由は、グラフの線が右上がりだったからだと思います。
人は、右上がりの線の、右のほうを見ます。
最終報告 ―― 六月
最終の報告は、取締役会でした。
通りました。
反対は、ありませんでした。
七社の表は、資料の三十一ページ目に入れました。付録ではなく、本文です。
社外取締役の方は、そのページで一度うなずきました。
社長の方は、何も言いませんでした。
決議のあと、廊下で社長の方とすれ違いました。
その人は、「瓜生さん、何年目ですか」と聞きました。
四年目です、と答えました。
「そうですか」と言って、歩いていきました。
生活 ―― 二十六歳
年収は七百四十万円です。家賃は八万六千円で、一人で住んでいます。
五月に、家賃の更新の通知が来ました。二千円上がる、と書いてありました。
その通知を、六千八百万円の表を作っている日に受け取りました。
二千円のことを、その日は三十秒くらい考えました。
いまも、二千円のほうをはっきり覚えています。
五月は、残業が九十一時間でした。
委員会の前の三日は、終わりが二十六時を過ぎました。
タクシーは使っていません。事務所の仮眠の部屋で寝ました。
毛布が薄くて、四時に寒くて起きました。
起きて、自動販売機で温かいお茶を買いました。百三十円です。
そのお茶を持って、無人のフロアの窓際で飲みました。
窓の外は、まだ暗かったです。
その時間に、六千八百万円の内訳の表が、私のノートパソコンの画面に開いたままになっていました。
画面の明るさを、いちばん暗くしていました。
目が、しばしばしていたからです。
四月から、朝に目やにが固まるようになりました。
眼科で、ドライアイだと言われました。
目薬をもらって、委員会の日の朝にも差しました。
差したあとで、まばたきをすると、少しだけ涼しくなります。
あの部屋の暑さのことは、その涼しさと一緒に覚えています。
後記 ―― 翌年の八月
新しい制度は、七月から始まりました。
一年目の実績が、八月に出ました。
営業利益が、計画の八十四パーセントでした。
ROICも、目標に届きませんでした。
連動する部分は、三千四百万円の幅のうち、六百八十万円しか出ませんでした。
社長の総報酬は、五千六百八十万円です。
前の年の六千八百万円より、千百二十万円低いです。
社長の方は、何も言わなかったと聞きました。
株式報酬の部分は、三年後に交付される形にしてあります。
この会社の株価は、制度が始まった月に千八百四十円で、一年後に二千二百十円になっていました。
だから、三年後にどうなるかは、分かりません。
あの社外取締役の方は、六月の株主総会で退任しました。
任期の満了です。理由は、どこにも書いてありませんでした。
退任の前に、一度だけメールをもらいました。
「七社の表、残しておいてください」と書いてありました。
残っています。私のフォルダに入っています。
新製品の売上比率は、十一パーセントから十・六パーセントになったそうです。
その数字は、報酬の指標には入っていません。
入っていないので、取締役会の資料には出ません。
この会社の新製品の開発の予算は、同じ年に四パーセント削られていました。
削ったことは、報酬の話とは関係がありません。
関係がないのに、私は二つを並べて考えてしまいます。
蕪木さんに、一度だけ聞きました。
あの七社の表を出したのは、正しかったですかと。
蕪木さんは、「正しいかどうかじゃなくて、出したら次が変わるんですよ」と言いました。
次が何なのかは、言いませんでした。
議事録の末尾に書いた一行のことを、私はいまでも年に何度か思い出します。
思い出して、別途の検討を始めた人がいるかどうかを、確かめたことはありません。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。