「この箱に、私はいないんですね」と、常務は組織図の第五版を見て言った
機能配置の議論のつもりで引いた線は、向こう側では人事の内示として読まれていた。組織図は第七版まで行き、常務の名前は決裁権限表から消えた――香月が、線を引く仕事について書いた記録。
四月の第二週、初回の打ち合わせで渡されたのは、A3の組織図とA4で百二十ページの規程集だった。
香月です。三十八歳。前職は事業会社の法務部にいて、いまの会社に来て三年目になる。
アサイン ―― 百四年
クライアントは、繊維の会社だった。創業が百四年前。祖業は衣料用の生地で、いまはそれが四つの事業のうち一つになっている。残りは産業資材、不織布、それから化成品。
売上は千二百四十億円。子会社が国内に八社、海外に三社。
依頼は、持株会社体制への移行だった。
株式移転で持株会社をつくり、四つの事業を事業会社にぶら下げる。目的として説明されたのは、事業ごとの責任を明確にすること、それから、将来的な事業の入れ替えをやりやすくすること。
後者は、はっきりとは書かれていなかった。書かれていないことは、こういう案件ではよくある。書かれていないから存在しない、ということにはならない。
チームは五人。パートナーの網倉さん、マネージャーの菅生さん、私、それに若手が二人。私の担当は、機能配置と権限設計だった。
立ち上がり ―― どの箱に置くか
持株会社化でいちばん時間を使うのは、機能配置の議論だ。
人事、経理、財務、法務、調達、情報システム、知的財産、広報。これらを、持株会社に残すのか、事業会社に持たせるのか、あるいは別会社にまとめるのか。
教科書的な整理はある。グループ全体の資源配分に関わる機能は持株会社、事業の執行に密着した機能は事業会社。それだけなら、二週間で終わる。
実際には終わらない。
たとえば調達。この会社の場合、原糸の一部は四事業で共通に買っている。共通で買っているから購買力が出る。ところが、産業資材の事業だけは、調達先が完全に別系統だった。理由を辿ると、二十六年前に買収した会社の商流がそのまま残っていた。
こういうものが、機能ごとに二つか三つずつある。
私はまず、規程を読むことにした。
四十七回
決裁権限規程は、二十年で四十七回改訂されていた。
改訂の履歴が、規程集の巻末に一覧で付いていた。日付と、改訂した条文の番号だけが並んでいる。理由は書いていない。
読んでいくと、条文どうしが噛み合っていない箇所が出てきた。
第十二条では、設備投資は三億円まで事業部長の決裁でできる。ところが第二十八条の別表では、子会社への貸付は一億円を超えると社長決裁になる。
同じ一億五千万円が、機械を買うなら事業部長、子会社に貸すなら社長。
これは、たぶん改訂の順番の問題だ。子会社への貸付の条項が入ったのは十四年前で、そのときの水準がそのまま残っている。設備投資の枠は、そのあと二回引き上げられている。
こういう箇所を、十九個見つけた。
若手の一人が「これ、みんな気づいてないんですかね」と言った。
私は「気づいてる人はいると思う」と答えた。実際、私が前職の法務にいたときも、同じような矛盾を三つくらい知っていた。知っていて、直さなかった。直すには稟議がいるし、稟議を通す理由がなかった。
規程というのは、そういうふうにできている。
三つの会社を先に見た
規程を読んだあとで、私は現地を三ヶ所回った。
工場が二つと、研究所が一つ。
衣料用の生地の工場は、県境の川沿いにあった。建屋の一部が昭和三十年代のもので、天井が高く、夏は暑い。染色の工程があるので、湿気がある。
案内してくれた工場長は五十七歳で、「うちは織って染めて仕上げるまで一貫でやってます」と言った。それが誇りである言い方だった。
産業資材のほうは、まったく違った。二十六年前に買収した会社の工場で、建物が新しい。人の年齢も若い。呼び方も違って、こちらでは「部長」ではなく「マネージャー」と呼んでいた。
同じグループの二つの工場で、社員食堂のメニューの値段が九十円違った。
こういうことは、組織図には出てこない。出てこないが、機能を一つにまとめるという議論をするときに、いちばん効く。
たとえば人事を持株会社に集約するとして、この二つの工場の給与体系は違う。等級の数も違う。賞与の算定式も違う。集約するというのは、そのどちらかに寄せるか、両方を残すかを決めるということだ。
私はこの時点で、それを「移行計画の論点」としてメモに書いた。書いて、機能配置の議論とは別立てにした。
別立てにしたのが、あとで効いた。効いたというのは、悪いほうに効いたという意味だ。
五月から六月 ―― 版を重ねる
機能配置の案を、私たちは版で管理していた。
第一版が五月九日。第二版が五月二十三日。第三版が六月六日。
版が変わるたびに、A3の紙が一枚出る。四つの事業会社と持株会社の箱があって、その中に機能の名前が入っている。線でつながっている。
この紙を、私はたぶん四十回以上刷った。
刷るたびに、少し慣れた。慣れる、というのは、線を引くのが速くなるということだ。
第四版のあたりで、菅生さんに「そろそろ、人の顔を思い浮かべながら見て」と言われた。
私は「はい」と答えた。答えて、思い浮かべたつもりだった。
つもりだった、というのは、あとで分かることだ。
六月二十六日 ―― 第五版
中間報告は、役員会議室で行われた。
出席は社長、副社長、常務が三人、それから経営企画の担当役員。
私のパートは、機能配置の第五版と、権限設計の考え方だった。
説明は十八分で終わった。質問がいくつか出て、社長は「筋は分かった」と言った。
そのあとだった。
産業資材を管掌している常務が、手元の紙を見ながら言った。六十二歳の、寡黙な人だった。この日、それまで一度も発言していない。
「この箱に、私はいないんですね」
会議室が、静かになった。
第五版の図では、産業資材事業会社の下に、四つの部門が並んでいる。その上に社長がいる。持株会社のほうには、社長と、CFOと、CHROの箱がある。
常務の役職に相当する箱が、どこにもなかった。
つくっていなかった、というのが正確だ。私たちは機能を配置していて、役位を配置していない。役位は、体制が決まってから人事が決める。そういう順番で進めるものだと、私は思っていた。
私は、その場でこう答えた。
「これは機能の配置を示した図で、役位や人事の話とは切り離しています。役員体制は別途、指名の枠組みで検討されるものと理解しています」
正しい。全部正しい。用語も、順番も、私の理解も間違っていない。
常務は「そうですか」と言った。
それから、最後まで何も言わなかった。
会議のあと
その日の夕方、経営企画の部長が私の席まで来た。四十代の人で、この案件でいちばん話をしている相手だった。
「香月さん、あれね」
部長は少し困った顔をしていた。
「うちの持株会社の役員は、六人くらいになる話で進んでるんですよ。まだ正式には何も出てないんですけど、常務は、たぶんそこに入らない」
「入らない」というのは、退任か、あるいは顧問のような形になる、ということだった。
「本人は、たぶん薄々分かってると思います。分かってるところに、あの図が出たので」
私は「そうでしたか」と言った。
そのとき、自分が何をしたのかが分かった。
私は、まだ誰も口に出していない人事の結論を、A3の紙一枚で先に示してしまった。示すつもりはなかった。つもりがなかったことは、受け取る側には関係がない。
そして、示してしまったあとに、「これは人事の話ではありません」と言った。
言われた側から見れば、それは説明ではなくて、遮断だ。
いま考えると、言うべきだったのは一言だった。
「そう見えますよね」
そこから始めれば、常務は何か言ったかもしれない。言わなかったとしても、少なくとも、私は聞く側に立てた。
私は、正しさを先に置いた。前職の法務で、十年やった癖だと思う。法務では、正しさを先に置くのが仕事だった。
七月 ―― 別立てにしたもの
六月の中間報告のあと、機能配置の議論は速く進んだ。速く進んだのは、役員の関心が別のところに移ったからだ。
七月に入って、人事の集約の話が本題になった。
そこで、私が五月に別立てにしておいた論点が、そのまま返ってきた。
等級が、片方は九段階、もう片方は六段階。賞与の算定式も違う。集約するには、どちらかに寄せるか、新しい体系を作るしかない。
新しい体系を作ると、必ず誰かの処遇が下がる。下がる人が出る制度変更は、労使の手続きがいる。手続きには時間がかかる。移行の期日は、株式移転の日程で決まっていて、動かせない。
つまり、間に合わない。
結論は、「当面は現行の二体系を並存させ、三年以内に統合を検討する」になった。
私は、これを聞いたときに、少し安心した。安心してから、自分がやったことを考えた。
私は五月に、この論点を「機能配置とは別」として脇に置いた。置いたことで、機能配置の議論はきれいに進んだ。きれいに進んだ議論の結果として決まった箱に、実体が入っていない。
人事部という箱は持株会社にできた。中で動いている制度は二つのまま。
規程を読んで矛盾を十九個見つけた人間が、四十八個目の矛盾を自分で作ったことになる。
菅生さんにそう言ったら、「それは全部やってたら三年かかるよ」と言われた。その通りだと思う。その通りだと思うことと、納得することは、少し違う。
生活 ―― 読む仕事
三十八歳。年収は千百四十万円。前職の事業会社より二百八十万円上がった。
上がったぶん、時間がなくなった。前職は十九時に帰れる日が週に三日あった。いまは月に三日あるかどうかだ。
子どもが小学二年生になった。五月の運動会に行けなかった。妻が撮った動画を、日曜の夜に二回見た。徒競走は四人中三着だった。
六月に眼鏡を作り直した。検査のときに、店員に「そろそろ手元も入れますか」と言われた。三十八歳で言われるとは思っていなかった。
規程集を百二十ページ、条例と定款と職務権限表を合わせて、この案件で読んだ紙は、たぶん八百ページを超える。読む仕事は、目でやる。当たり前のことを、この年になって身体で知った。
前職の同僚と、七月に一度飲んだ。彼はまだ同じ会社の法務にいる。
「香月、コンサル、どう?」と聞かれた。
私は「面白いよ」と答えた。それから、少し考えて「ただ、決めないんだよね」と付け足した。
前職では、私は決める側の隣にいた。契約書に判を押す前の最後の関門にいて、止めることができた。止めた回数は多くない。多くないが、止められる立場にいた。
いまは、材料を作って、置いて、帰る。
彼は「それ、楽じゃない?」と言った。
私は「楽だよ」と答えた。答えて、その夜、帰り道でずっとそのことを考えていた。楽だと即答した自分が、六月の会議室で「これは人事の話ではありません」と言った自分と、同じ形をしている気がした。
最終報告と、そのあと
組織図は、第七版で決着した。九月十二日。
第六版と第七版の違いは、知的財産の機能をどこに置くかだけだった。第六版では持株会社、第七版では化成品の事業会社に置いた。理由は、この会社の特許の八割が化成品由来だったからだ。
移行そのものは、翌年の四月に完了した。
常務は、持株会社の顧問になった。役職としては存在する。
私が作った決裁権限表に、顧問という役位は出てこない。権限表は、決裁する人の一覧だからだ。顧問は決裁をしない。
後記 ―― 一年後に見た表
翌年の秋、別のクライアントの案件で、比較のためにいくつかの会社のガバナンス体制を調べる作業があった。
そのなかに、あのグループが入っていた。
公表資料に載っている範囲で、機能の配置を見た。私が引いた第七版と、ほとんど同じだった。
若手が「これ、綺麗に整理されてますね」と言った。
私は「そうだね」と言った。私が関わったとは言わなかった。言う必要がなかった、というのが半分。もう半分は、うまく言えない。
いま気になっているのは、あの十八分の説明のことだ。
私は、機能の話をしていた。相手は、人の話を聞いていた。これは、相手の読み違いではない。組織図というのは、そもそも人の配置を示すための道具だ。私は道具の性質を、頭では知っていて、手つきでは忘れていた。
四十回以上刷ったA3の紙が、途中から、ただの紙になっていた。
線を引くのが速くなったことを、私はあの時期、少し得意に思っていた。得意に思っていたことを、いま書いていて思い出した。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。