「あんた、どこの人だ」と聞かれて、私は「東京から来ました」と答えた
二百八十一の施設を、二十年で三割減らす。その一覧に、自分の母校が入っていた。説明会の会場で、私は最後まで地元だと言わなかった――大平が、ふるさとの数字を作った仕事について書いた記録。
五月の頭、パートナーの船越さんに呼ばれて、こう言われた。
「大平、あそこ、地元だろ」
大平です。三十六歳、マネージャーになって六年目。
その市で生まれて、十八歳まで住んでいた。
アサイン ―― 地元だから
案件は、公共施設等総合管理計画の改定支援だった。
自治体が持っている建物や道路や上下水道を、これから何十年かけてどう維持するか、あるいは維持しないかを決める計画だ。国の要請で、全国の自治体が作っている。多くは十年ほど前に一度作られ、いまは見直しの時期に来ている。
クライアントは、人口八万二千人の市。私が育った市だ。
保有している施設が、二百八十一。学校、公民館、体育館、図書館、市民プール、保育所、給食センター、庁舎、それから消防の詰所や集会所のような小さいものまで含めて。
延床面積の合計が、約三十一万平方メートル。
これを二十年で三割減らす、というのが計画の骨格になる予定だった。
私が呼ばれた理由は、公共の案件を四本やっていたからだ。それが一つ目の理由。二つ目が、地元だということだった。
船越さんは「土地勘があると早い」と言った。それは正しい。実際、早かった。
私は「はい」と答えた。
そのときに、断ることもできた。断る理由を言葉にできなかったので、断らなかった。
立ち上がり ―― カルテ
最初の三ヶ月でやったのは、施設カルテの作成だった。
二百八十一施設について、築年数、延床面積、稼働率、年間の維持管理費、直近の修繕履歴、それから今後四十年で必要になる更新費用の試算を並べる。
集めるのが大変だった。所管する課がばらばらで、データの形式も違う。教育委員会が持っているもの、市民生活部が持っているもの、財政課の固定資産台帳。台帳の面積と、現地の面積が合わない施設が十九あった。
三ヶ月やって、数字が並んだ。
一平方メートルあたりの年間維持費は、平均で四千八百円だった。ばらつきが大きい。いちばん高い施設は一万九千円、いちばん安いのは千二百円。
高いのは、たいてい小さくて古い施設だ。面積が小さいと、警備や点検の固定的な費用が単価に乗る。
更新費用の試算が出たとき、財政課の課長が黙った。
このまま全部を建て替えていくと、今後四十年で必要な額が、いまの投資的経費の年間予算の約二・四倍になる。
払えない。それがこの計画の出発点だった。
秋 ―― 順番が逆になる
再編の方針を作る段になって、当然の話が出てきた。
どこから減らすか。
効率だけで並べると、単価の高い施設から減らすことになる。単価が高いのは、小さくて、古くて、利用が少ない施設だ。
そういう施設は、どこにあるか。
周辺部にある。
私はこの市の地形を知っている。中心部から車で二十分から四十分のあたりに、いくつか集落があって、そこにそれぞれ小さな公民館と、集会所と、消防の詰所がある。学校も、統合されずに残っているところがある。
周辺部の高齢化率は、市全体の三十四パーセントに対して、四十七パーセントだった。
高齢化率が高い地区ほど、移動手段がない。バスは一日四本。うち二本は平日のみ。
つまり、減らすべき順番と、生活が困る順番が、ほぼ逆に並んでいる。
これは、この市に限った話ではない。公共施設の再編では、どこでも起きる。教科書にも書いてある。
書いてあることを、自分の知っている地名の上で見るのは、初めてだった。
十一月 ―― 学校の基準
いちばん揉めたのは、学校だった。
市内に小学校が十四校、中学校が六校ある。児童生徒数は、二十年前の半分になっている。
統合の基準をどう置くか。国が示している標準は、小学校で十二学級以上――つまり各学年二クラス。これを厳密に当てると、十四校のうち十校が対象になる。
十校を統合すると、通学距離が伸びる。市の教育委員会は、これに強く抵抗した。
三回、会議をやった。二回目の会議で、教育委員会の次長が「机の上で線を引くのは簡単ですよ」と言った。
私は、そのとき何も言わなかった。言えることがなかった、というより、言うと感情の応酬になると思った。
三回目に、私は別の資料を持っていった。
十四校それぞれについて、今後十五年の児童数推計を、通学区域の〇歳から五歳の実人数から積み上げた。推計ではなく、もう生まれている子の数だ。
これを出すと、話が変わった。
「十二学級」という基準の話ではなくなって、「この学校は八年後に全校で三十人を切る」という具体の話になった。
三十人を切る学校が、四校あった。
次長は、その資料をしばらく見てから、「これは、我々が先に作るべきものでした」と言った。
基準で語ると抵抗される。実数で語ると、相手が自分で計算し始める。
この違いを、私はこの案件で覚えた。覚えたと書くと聞こえがいいが、二回目の会議までは基準の話をしていた。
説明会 ―― 六回のうち四回
年が明けて、住民説明会が始まった。
市内を六つの地区に分けて、それぞれ一回ずつ。市の担当者が主で、私たちは補助で入る。私は四回出た。
会場は、公民館か、小学校の体育館だった。パイプ椅子を並べて、前にスクリーンを置く。参加者は、多い回で六十人、少ない回で二十二人。
平均年齢は、目測で七十歳近い。
一回目と二回目は、比較的静かだった。市の説明を聞いて、質問が三つか四つ出て、一時間半で終わった。
三回目が、実家のある地区だった。
三回目
会場は、私が通った小学校の隣にある公民館だった。
その公民館には、子どものころ何度も来ている。二階の和室で、書道教室があった。私は四年生まで通っていた。
椅子を並べる作業を手伝いながら、床の色が変わっていないことに気づいた。
説明会の資料に、統合検討対象の施設の一覧が載っている。載せるかどうかは、市の中でかなり議論があった。載せないと不誠実だ、という判断で載せることになった。
その一覧に、私の通った小学校が入っている。
児童数は、私がいたころ四百十二人だった。いまは八十七人だ。二クラスある学年が一つもない。
「あんた、どこの人だ」
説明が終わって、質疑になった。
三人目に手を挙げたのが、七十代くらいの男性だった。前から三列目の、通路側に座っていた。
その人は、まず市の担当課長に質問した。学校がなくなったら、子どもはどこまで通うことになるのか。スクールバスは出るのか。
課長が答えた。距離と、検討中であることを答えた。
そのあと、その男性が私のほうを見た。
「そちらの、コンサルタントさん」
私は立った。
「あんた、どこの人だ」
会場が、少し笑った。悪意のある笑いではなかった。
私は、こう答えた。
「東京から来ました」
嘘ではない。私はいま東京に住んでいて、東京から新幹線と在来線で来ている。
嘘ではないが、本当でもなかった。
男性は「ああ、そうかい」と言って、それから「東京の人には、ここのバスの本数は分からんでしょう」と言った。
私は「資料で拝見しています」と答えた。
そう答えたときに、自分でも、いちばんつまらない返事をしたと思った。
会場にいた人
同じ回の会場に、中学の同級生の母親がいた。
後ろのほうに座っていた。私が資料の説明をしているときに、一度目が合った。
向こうが私に気づいたかどうかは、分からない。十八年経っている。
説明会が終わって、片付けをしているときに、その人はもう帰っていた。
私は、少しほっとした。
四回目
四回目の説明会は、中心部の市民会館だった。
この回だけ、雰囲気が違った。参加者が若い。三十代から四十代が多い。子育て世代の地区だった。
質問も違った。
「統合した先の学校の校舎は、何人まで入るんですか」
「削減した分の予算は、何に使うんですか」
二つ目の質問に、市の課長が答えあぐねた。
削減した分は、残す施設の更新に使う。それが計画の考え方だ。ただ、そう答えると「なくす地区のお金で、残る地区の建物を直すのか」と聞こえる。
私が補足した。
「削減は、新しい何かに使うための原資というより、いま持っている建物を四十年後まで維持するための条件です。減らさないと、残す施設も直せなくなります」
質問した人は「分かりました」と言った。納得したかどうかは分からない。
この回の帰り、私は少し気が楽だった。
気が楽だった理由は、はっきりしている。知っている顔が一人もいなかったからだ。
数字を丁寧に説明しすぎた
四回の説明会で、私が担当したのは、施設の維持費と更新費用の試算のパートだった。
十二分。スライドは九枚。
一平方メートルあたりの単価、四十年間の更新費用の推計、それを現在の予算水準と比べたグラフ。
丁寧に作った。専門用語を減らして、グラフの軸を大きくして、色を三色に絞った。
四回やって、四回とも、質問はそこには来なかった。
質問は全部、こうだった。
「うちの地区の集会所は、いつなくなるんですか」
「プールは今年の夏は使えるんですか」
「決まったことなんですか、まだ決まってないんですか」
人が知りたいのは、いつ、どこが、どうなるか、だった。
私が説明したのは、なぜそれをやらなければいけないか、だった。
順番が逆だ、といまなら書ける。四回目が終わったあとに、市の課長にそう言った。課長は「そうですね」と言って、少し疲れた顔をしていた。
生活 ―― 泊まらなかった
説明会の期間、私は市内のビジネスホテルに泊まっていた。駅前の、一泊七千八百円のところだ。
実家は、そのホテルから車で十五分のところにある。母が一人で住んでいる。
四回とも、泊まらなかった。連絡もしていない。
理由を書くと、二つある。一つは、仕事で来ているから。もう一つは、母にこの仕事の中身を説明したくなかったからだ。
母は、私が東京でコンサルタントをしていることを知っている。何をしているかは知らない。「難しい仕事」と近所に言っているらしい。
三十六歳。年収は千四百二十万円。マネージャー六年目としては、平均か、少し上だと思う。
説明会の三回目の夜、私はホテルの部屋で、喉が痛かった。二時間立って、マイクを使わずに後ろまで届く声で話すと、翌日まで残る。
コンビニでのど飴を買って、風呂に入って、二十三時に寝た。眠れたことに、少し驚いた。
最終報告
三月に、計画案が策定された。
延床面積を二十年で三割削減。学校は、児童数の基準を設けて段階的に統合。集会所と小規模の公民館は、地域への譲渡か廃止を地区ごとに協議。
第一弾の統合は、五年後からになる。
その第一弾のリストに、私の通った小学校が入っている。
最終報告の場で、市長が「ありがとうございました」と言った。市長は五十代の人で、この計画を通すことが自分の任期の仕事だと言っていた。
私は「ありがとうございました」と返した。
その日の帰り、在来線の窓から、川を渡るところが見えた。子どものころ、その河川敷でサッカーをやっていた。いまも、たぶん誰かがやっていると思う。
後記 ―― 五万八千人
計画書の巻頭に、人口推計のグラフが載っている。
現在、八万二千人。
二十年後、五万八千人。
このグラフは、私が作った。国の推計をもとに、市独自の社会移動の想定を少し足して、三案並べた。真ん中の案が採用された。
五万八千人という数字を、私は何十回も入力した。入力しているときは、何も思っていない。数字は数字だった。
いま、少し違って見える。
二十年後に、私は五十六歳になる。母は生きていれば八十六歳だ。
その市に、五万八千人が住んでいる。二百八十一あった施設は、面積でいうと七割になっている。私が通った小学校の場所には、たぶん何かが残っているか、何も残っていない。
どちらになるかは、五年後に決まる。決めるのは市であって、私ではない。私が作ったのは、決めるための材料だ。
材料を作る仕事は、責任の所在がきれいに分かれている。それは、この仕事のいいところだと思っていた。
いまも、たぶんそう思っている。
ただ、あの三列目の男性に「東京から来ました」と答えたときのことを、ときどき思い出す。
あそこで「私はこの市の出身です」と言っていたら、何が変わったのか。
たぶん、計画は変わらない。数字も変わらない。会場の空気が少し変わって、質問がもう二つか三つ増えて、それで終わったと思う。
それでも、私はあのとき、名乗らないほうが仕事がやりやすいと判断した。
一秒もかからずに判断した。そこがいちばん、あとから気になっている。
母には、まだこの仕事のことを話していない。実家の郵便受けには、市の広報が毎月入っている。計画の概要は、そこに載ったはずだ。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。