上場準備というのは、三十年ぶんの「まあいいか」を全部書き出す作業だった
前職では、私は弾く側にいた。いまは通す側の準備をしている。同じ書類を、逆から読む仕事だ――遠山が、三十二年ぶんの口約束を数えた記録。
四月の第三週、最初に受け取ったファイルの名前は「ショートレビュー指摘事項一覧_ver3」だった。行数は百九十四。
遠山です。三十三歳。前職は証券会社の引受審査部にいて、いまの会社に来て二年目になる。
アサイン ―― 逆から読む
クライアントは、調剤薬局のチェーンだった。
店舗が百四十二。創業から三十二年。創業者はいまも代表を務めている薬剤師で、六十四歳。前年度の売上は三百八十億円で、この三年は毎年二割ずつ増えていた。増えていたのは、小さな薬局を買っているからだ。
依頼は、上場準備の支援だった。主幹事の証券会社が決まり、監査法人のショートレビューが終わったところで、指摘が百九十四件返ってきた。それを二年で片づけたい、という話だった。
私にこの案件が来たのは、前職の経歴のせいだ。
引受審査部というのは、上場させていいかどうかを社内で判断する部署で、私はそこで四年半、申請直前の会社を見ていた。見て、いくつか落とした。落とすというのは、正確ではない。「もう一年やりましょう」と言うだけだ。言われた側にとっては、たぶん落とされたのと同じだった。
同じ書類を、今度は逆から読む。
マネージャーの大迫さんに「遠山さん、これ得意でしょ」と言われて、私は「得意ではないですが、見たことはあります」と答えた。
立ち上がり ―― 百九十四のうち
指摘の百九十四件は、四つに分かれていた。
規程が無いもの。規程はあるが運用されていないもの。運用はされているが記録が残っていないもの。それから、関連当事者取引。
上の三つは、作業だ。時間はかかるが、やることは決まっている。職務権限規程を作って、稟議の様式を作って、承認の証跡を残す運用に変える。九月までに、ほとんど片づく見込みだった。
四つ目だけが、違った。
関連当事者取引というのは、会社と、その会社の役員やその親族との取引のことだ。上場すると株主が外にできる。外の株主から見て、会社の金が身内に流れているように見える取引は、開示するか、やめるか、条件を直すかしないといけない。
一覧を作るのが、私の担当になった。
記録が残っていない、ということ
四つ目に入る前に、三つ目のほうを少し書いておく。
「運用はされているが記録が残っていない」というのは、上場準備でいちばん件数が多い指摘だ。この会社では六十一件あった。
たとえば、薬剤師の勤怠。
調剤薬局は、店舗ごとに管理薬剤師を置く。人が足りない日は、近隣の店から応援に行く。この会社では、その応援を店長どうしの電話で決めていた。決めて、行って、帰ってくる。誰も何も書いていない。
給与は、正しく払われている。応援に行った人の残業も、ちゃんと付いている。付いているのに、なぜ付いたのかを説明する紙がない。
私は「応援記録」という様式を作った。A4一枚で、日付と、出た店と、行った店と、時間だけを書く。
これを店舗に配ったら、三日目に本部に電話がかかってきた。
「これ、誰が書くんですか」
四十軒くらいから、同じことを聞かれた。
書くのは行った本人でいいです、と答えると、「行ったあと、忙しいんですけど」と言われた。それはそうだと思った。応援に行くのは、向こうが忙しいからだ。
結局、様式は二回作り直した。三回目は、項目を四つから二つに減らした。日付と、時間だけ。店の名前は、システムのシフトから引ける。
上場準備というのは、こういう紙を三ヶ月かけて二行に減らす作業でもある。この六十一件で、私は五月をほとんど使った。
使いながら、四つ目のことが、ずっと頭の隅にあった。
八十二件と、十一件
まず、賃貸借契約から始めた。
薬局は、テナントで入っていることが多い。病院の前の一階、駅前のビル、住宅街の路面。百四十二店舗のうち、自社所有は四つで、残りは全部借りている。
契約書を集めた。経理部のキャビネットに、店舗コード順にファイルされている。
八十二件あった。
百三十八店舗あるはずなのに、八十二件しかない。
差の五十六件のうち、四十五件は、買った薬局の契約がそのまま引き継がれていて、別のファイルに入っていた。これは経理課長がすぐ出してきた。
残りの十一件が、出てこなかった。
経理課長は、少し困った顔をして、「たぶん、あれは書いてないと思います」と言った。
書いていない。つまり、賃貸借契約書が存在しない。
十一件のうち九件は、社長の義兄が所有する建物だった。残りの二件は、社長の実弟。
賃料は毎月きちんと振り込まれている。金額も一定している。ただ、紙がない。
課長は「先代のころからの付き合いなので」と言った。先代というのは、社長の父親のことだ。この会社の一号店は、その義兄の建物の一階だった。
現場に行った日
五月の連休明けに、その十一店舗のうち三つを見に行った。
一つ目は、内科の医院の隣にある店で、間口が四メートルくらいしかない。待合の椅子が三脚。午前中は途切れなく人が来て、十二時を過ぎるとぱたりと止まる。
管理薬剤師は五十代の女性で、私が来た理由を説明すると、こう言った。
「ああ、この建物、社長のお義兄さんのですよ」
隠すという気配が、まったくなかった。
私はそこで、少し戸惑った。
前職で見ていた会社は、こういうものを隠した。隠して、審査の途中で出てきて、そこから信用の問題になった。隠されると、こちらは「他にもあるのでは」と考える。だから隠す会社は時間がかかる。
この会社は隠していない。誰も後ろめたく思っていない。
後ろめたく思っていないものを、私が問題として並べることになる。
一覧にした
五月の下旬、私は関連当事者取引の一覧を作った。
賃貸借が十一件。社長の妻が非常勤の監査役で、報酬が年に四百八十万円。社長名義でリースしている車が三台あって、うち一台は次男が使っている。次男はこの会社の社員ではない。それから、毎年二月にやっている「幹部研修」の行き先が四年連続で同じ温泉地で、参加者の三割が親族だった。
全部で二十三件。A3の紙、一枚に収まった。
私は、これを社長に一度に見せることにした。
理由は二つある。一つは、個別に出すと全体像が見えず、優先順位が決められないから。もう一つは、監査法人と主幹事には結局まとめて出すことになるので、社長にだけ小出しにするのは筋が悪いから。
どちらも正しい。いま書いていても、正しいと思う。
六月三日、経理部の会議室で、私はその紙を配った。
社長は、老眼鏡を出して、上から順に読んだ。読むのに二分くらいかかった。
読み終わって、社長は「これ、全部だめってこと?」と言った。
私は「だめというより、説明できる形にするか、やめるかの整理です」と答えた。
社長は「ふうん」と言って、それから、何も言わなかった。
会議は、そのあと十五分くらい続いた。続いたが、社長は一度も発言しなかった。
出し方がある
その日の夕方、経理部長が私の席まで来た。四十代後半の人で、六年前に中途で入っている。この会社で、たぶんいちばん外の常識を知っている人だった。
「遠山さん、あれね」
部長は、私の隣に立ったまま言った。
「間違ってないんですよ。全部間違ってない。ただ、出し方があるんですよ」
私は「といいますと」と聞いた。
「うちの社長、三十二年やってきて、たぶん一度も、あれを『問題』って言われたことがないんです。並べて出すとね、あの紙、社長がやってきたことの通信簿に見えるんですよ」
通信簿。
「二十三個並べる前に、まず賃貸借の十一件だけ出して、これは相場の賃料と比べて説明できるようにしましょう、って言えばよかったんです。そしたら社長、たぶん自分から『じゃあ車もな』って言いますよ。あの人、そういう人なので」
私は「そうですか」と言った。
そのあと、席に戻って、A3の紙をもう一度見た。
紙は、何も変わっていない。二十三件のままだ。ただ、これを「整理」と呼ぶのは、私の側の言い方でしかなかった。受け取る側からは、そう見えない。
前職で、私は同じ紙を何度も作った。作って、社内の会議で「この会社はガバナンスに難がある」と説明した。あのとき私が見ていたのは、紙だった。紙の向こうに、こういう三十二年があるとは、たぶん一度も考えなかった。
義兄
七月に入って、社長の義兄から連絡があった。
「そんなに面倒なら、出ていってもらってもいい」
九店舗の話だった。
この九店舗は、月商の合計で、会社全体の六パーセントくらいある。門前の医院との関係も長い。移転するとなると、場所を探して、保健所と厚生局に届け出て、内装を作り直す。一店舗で半年、九店舗なら二年では終わらない。
社長は、私に一度も相談しなかった。
義兄と二人で会って、二時間で話をつけてきた。内容は、九件とも書面を交わす、賃料は近隣の相場を根拠に一割下げる、契約期間は五年、というものだった。
経理部長が「一割下げるって、向こうが言ったんですか」と聞いた。
社長は「向こうが言った」と答えた。
私はそのとき、少しだけ、自分がやったことに意味があったのだろうかと思った。書面がないことを見つけたのは私だ。ただ、書面を作らせたのは私ではない。二時間で話をつけたのも私ではない。
私がやったのは、二十三行の紙を作って、社長を三十分黙らせたことだった。
生活 ―― 噛みしめる
三十三歳。年収は千二十万円。前職より百八十万円上がった。
上がったが、前職の同期は同じ年でもう少しもらっている。証券の同期に会うと、その話は出ない。出ないのが、いちばん気になる。
家は、会社から電車で二十分の1LDKで、家賃は十四万八千円。更新が来年の三月にある。
六月に歯医者に行った。奥歯が欠けていた。虫歯ではなく、噛みしめだと言われた。夜、寝ているあいだに食いしばっているらしい。マウスピースを作った。一万二千円だった。
初めて着けて寝た朝、顎が痛くなくて、驚いた。それまでずっと痛かったことに、そのとき気づいた。
八月は、クライアントの本部に週四日いた。本部は駅から歩いて十一分のところにある雑居ビルの三階で、エレベーターが一基しかない。朝の九時前は必ず混むので、私は階段を使った。三階まで階段で上がる程度のことを、自分の運動量に数えるようになっていた。
昼は、ビルの一階に入っている定食屋か、その隣のコンビニだった。定食屋は、日替わりが六百八十円で、木曜だけ鯖の味噌煮が出る。経理課長が木曜を狙って行くのを知って、私も木曜だけ時間をずらすようになった。同じ店で顔を合わせると、仕事の話になるからだ。
前職では、昼を人と食べたことがほとんどなかった。審査部というのは、いま見ている会社の名前を外で言えない部署で、私はそのうち、会社の外の人間と昼を食べる習慣をなくしていた。いまの仕事のほうが、その点では健康だと思う。健康だと思ってから、木曜だけ時間をずらしている自分のことを考えた。
九月 ―― N-2期が終わる
私の関与は、九月末で一区切りになった。
指摘の百九十四件のうち、クローズしたのが百五十一件。継続対応が三十九件。四件は「上場までに解消」として先送りになった。
関連当事者取引は、二十三件のうち十七件を解消または条件変更、六件は開示して残すことになった。残した六件のうち四件は、義兄の建物だ。門前の関係が強すぎて動かせない。
最終報告は、九月二十六日の午後だった。会議室に社長と役員が五人、それから主幹事の担当者が二人。
私は四十分説明して、質問が三つ出た。
社長は最後に「ご苦労さん」と言った。それから、「あんた、前は落とす方だったんだって?」と聞いた。
たぶん、誰かから聞いたのだと思う。
私は「はい」と答えた。
社長は「じゃあ、うちは落ちるかね」と言った。冗談の言い方だった。
私は「私はもう、判断する立場にいないので」と答えた。
答えてから、それが答えになっていないことに気づいた。気づいたが、言い直さなかった。
後記 ―― 名前を聞かなかった
この会社が上場したかどうかを、私はここに書かない。
書かない理由は、書けないからではなくて、まだ結論を私が知らないからだ。申請は私が離れたあとの話で、そこから先は私の関わるところではない。
一つだけ、覚えていることがある。
七月に、九店舗を回ったときのことだ。三軒目の店で、管理薬剤師が「大家さんが変わるんですか」と聞いてきた。
私は「大家さんは変わりません。契約の形を整えるだけです」と答えた。
彼女は「ああ、よかった」と言って、それから「あの人、雪の日に自分でスコップ持ってきますからね」と言った。
私は、その義兄という人に、最後まで一度も会わなかった。名前も、書類上のもの以外は知らない。
紙の上では、彼は「関連当事者」という区分に入る。区分の名前は、そういうふうにできている。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。