稼働率が三十七パーセントの月に、僕は玩具の市場を三週間だけ調べた
待機の二週間、僕は毎朝きちんと起きて、誰にも必要とされないまま夕方になるのを見ていた。次に来たのは、A4で十八ページの仕事だった――井坂が、小さい案件について書いた記録。
四月十四日の月曜、僕は九時に起きて、九時十二分に社内のチャットを開いた。何もなかった。
井坂です。二十五歳。入社して二年目になる。
アサインがない
三月末で、前の案件が終わった。
物流会社の業務標準化で、九ヶ月いた。長かったし、最後のほうは自分の担当が持てて、少し面白かった。打ち上げは新橋の焼き鳥屋で、マネージャーが「井坂、よく粘ったよ」と言った。嬉しかった。
その翌週から、何もなくなった。
コンサルの評価には稼働率という数字がある。自分の労働時間のうち、クライアントに請求できている時間の割合。案件に入っていれば八割を超える。入っていなければ、ゼロに近づく。
四月の僕の稼働率は、月末で三十七パーセントだった。
三十七というのは、月の前半に前の案件の残作業があったからで、後半だけで見ればもっと低い。
社内では、この状態を「ビーチ」と呼ぶ。休暇みたいな言い方をする。実際には、僕は毎朝ちゃんと起きていた。
二週間
やることは、一応ある。
ナレッジの整理を頼まれた。過去三年の案件の成果物から、業界別に使える分析のひな形を抜き出してフォルダに入れる作業で、これは三日で終わった。
英語の勉強をした。オンライン英会話を二十五分、朝にやった。八日続いた。
社内の勉強会に出た。人が七人しかいなかった。そのうち三人が、僕と同じように案件がない人だった。それは、その場にいる全員がわかっている。誰も言わない。
いちばん時間を使ったのは、社内のアサイン状況の一覧を見ることだった。
うちの会社は、動いている案件と必要な人数が一覧で見られるようになっている。僕はそれを、一日に四回か五回開いた。開いて、新しい行が増えていないかを見て、閉じた。
火曜の午後、同期の女性とエレベーターで一緒になった。彼女は電機メーカーの案件に入っていて、鞄が重そうだった。
「井坂くん、いまなにやってるの」
「いまはちょっと、空いてる」
「いいなあ、休んでる感じ?」
僕は「まあね」と言った。
エレベーターを降りて、席に戻って、そのあと二時間くらい、その会話のことを考えていた。彼女は本当に羨ましそうだった。それは間違いない。間違いないことが、いちばんこたえた。
予定表が真っ白だった日
待機の二週目の水曜、僕は自分の予定表が真っ白であることに気づいた。
正確には、前から真っ白だった。気づいたのは、その日に会議の招集が一件も来なかったからだ。それまでは、ナレッジ整理の打ち合わせだの、勉強会だの、何かしら入っていた。
真っ白な予定表を見て、僕は十分くらい、何もしなかった。
それから、席を立って、フロアを一周した。
うちのオフィスは、案件のチームごとにまとまって座る。まとまっている島は、声が出ている。ホワイトボードに何か書いてある。書いてあることの意味は、通りすがりの僕にはわからない。わからないのが正しい。案件の中身は、そのチームの中にしかない。
一周して、席に戻った。
そのときに思ったのは、「勉強しなければ」ではなかった。「誰かに話しかけられる場所に座らなければ」だった。
翌日から、僕は自分の席ではなく、フロアの真ん中の共用席で作業するようにした。そこは人が通る。通った人が、たまに「井坂、いま何してんの」と聞く。
声がかかったのは、その一週間後だ。
因果関係があったのかどうかは、わからない。たぶん、ない。向井さんは僕の席の場所なんて知らないと思う。
それでも僕は、その二週間で、共用席のいちばん通路寄りの椅子を覚えた。座面が少し低くて、長くいると腰が痛くなる椅子だった。
声がかかる
四月二十四日の木曜、シニアマネージャーの向井さんから声がかかった。
「井坂、三週間の玉があるんだけど、やる?」
玉、というのは案件のことだ。
内容は、玩具メーカーの市場調査だった。中堅のメーカーで、いま持っている商品カテゴリとは別の領域に出ていけないか、その材料を集めたい。期間は三週間。人は一人。
一人、というところで、僕は少し黙った。
向井さんは「まあ、正直、これは営業のための持ち出しみたいなもんだから」と言った。フィーはあまり大きくない。ここで関係を作って、秋に本番の案件を取りにいく、という話だった。
僕は「やります」と即答した。
即答したのは、内容に興味があったからではない。断る理由が一つも思いつかなかったからだ。
その日の夜、僕は久しぶりに終電を気にした。気にする必要はなかったのに、気にした。
立ち上がり ―― 調べるだけの仕事
案件の名前は「玩具市場の周辺カテゴリに関する調査」だった。
やることは、机の上で終わる。統計を取ってきて、業界紙を読んで、公表資料を並べて、整理して出す。インタビューは、クライアントの担当者と二回だけ。
クライアント側の窓口は、商品企画部の課長と、担当が二人。三人とも、僕より年上だった。課長は四十六歳で、自分の子どもがもう玩具を買わなくなった、と最初の打ち合わせで言った。
初回で渡された論点は、二つだった。
出生数が減り続けているのに、この市場の金額は減っていない。なぜか。それから、その理由が続くとして、うちが出ていける隣の領域はどこか。
一つ目の答えは、たぶん誰でも知っている。子ども向けに売れているのではなく、大人が自分のために買っているからだ。
僕はそれを、二日で確認した。
二日で確認したものを、あと十九日かけて、どうやって十八ページにするか。それが、実際の仕事だった。
数字が合わない
一週目は、ほとんど数字の突き合わせで終わった。
市場規模の数字は、出どころが三つあった。業界団体が出しているもの、調査会社が出しているもの、それから経済統計。三つとも金額が違う。いちばん大きいものと小さいもので、四百億円くらい離れていた。
理由は、範囲の取り方だった。ゲーム機を入れるか、カードを入れるか、景品を入れるか。入れる・入れないで、数字が動く。
僕は、三つの定義の対応表を作った。何を含み、何を含まないかを並べた表で、A4で一枚。
これを作るのに、二日かかった。
二日かけて作った一枚は、報告書の最後の付録に入った。誰も見ないところだ。
見ないところだが、これがないと、本文の数字が使えない。前の案件で、マネージャーによく言われた。「その数字、どこから持ってきたか、三秒で言える?」
三秒で言えるようにするための二日を、僕は初めて自分の判断で使った。使ってみて、これは長いのか短いのか、判断する人が自分しかいないことに気づいた。
一人の案件というのは、そういうものだった。
二回目のインタビュー
二週目の火曜に、クライアントの担当者と二回目の打ち合わせがあった。
商品企画部の担当は二人で、片方は三十歳くらいの男性、もう片方は入社四年目の女性だった。四年目の人は、僕とほとんど同い年だ。
彼女は、途中で一度、こう言った。
「うちの会社、調べるのは自分たちでもできるんですよ」
言い方に棘はなかった。事実を言っている感じだった。
「調べたものを、外の人に整理してもらうと、社内で通るんです。同じことなのに」
僕は何も言えなかった。
彼女は「あ、悪口じゃないです」と付け足した。
その打ち合わせのあと、帰りの電車で、僕は自分がやっていることの値段を考えた。三週間で、僕がこの会社からもらっているフィーは、たぶん二百万円くらいだ。正確な額を、僕は知らされていない。
二百万円のうち、いくらが「調べたこと」で、いくらが「外の人が言った」ことなのか。
それは、いまでも分けられない。
店頭に行った
デスクの上だけでやると、十八ページは埋まる。埋まるが、中身は他の誰かが書いたものの引き写しになる。
僕は、五月の連休に店頭を見に行くことにした。
行ったのは、量販店の玩具売り場が三ヶ所、専門店が二ヶ所、それから駅ビルに入っているカプセルトイの店。
カプセルトイの店は、平日の夕方に行った。機械が二百台近く並んでいて、通路が狭い。両替機の前に列ができていた。列にいたのは、中学生くらいの二人組と、スーツの男性が二人と、四十代くらいの女性。
僕は一時間立って、両替機を使った人を数えた。四十七人だった。そのうち、明らかに小学生以下は九人。
数えながら、これは調査と呼べるのか、と思っていた。
量販店では、母親と、五歳くらいの男の子が話しているのを聞いた。
男の子が箱を指して、何か言った。母親が「これはお誕生日ね」と言った。男の子は「じゃあ、これは?」と、別の、小さいほうの箱を指した。母親は「それならいい」と言った。
その二往復が、僕はずっと引っかかった。
十八ページのうちの、一枚
五月十六日に、報告をした。
A4で十八ページ。市場規模の推移、購買層の変化、隣接するカテゴリの整理、参入している他社の類型、それから、この会社が持っている強みとの重ね合わせ。
十七ページは、調べたものを整理したものだった。
一枚だけ、違うものを入れた。
「買う人と決める人が分かれている」という一枚。
売り場で、値段の高い箱は親が決めて、安い箱は子どもが決めている。だから同じ玩具でも、三千円と八百円では、説得しないといけない相手が違う。この会社がいま強いのは三千円の帯で、隣の領域に出ていくなら八百円の帯になる。八百円の帯は、親を説得する商売ではなくて、子どもに選ばれる商売になる。
根拠は、量販店で聞いた二往復と、カプセルトイの店の四十七人だった。
出す前に、向井さんに電話で相談した。
向井さんは「それ、n=1だよね」と言った。
「はい」
「まあ、示唆の欄に置くなら、いいんじゃない。根拠のところに数字を置かないで、観察って書いて出しな」
僕は、そのとおりにした。
報告会は五十分で、質問が六つ出た。そのうち四つが、その一枚についてだった。
課長は「これ、うちの中で誰も言ってないんですよ」と言った。
僕は嬉しかった。嬉しかったが、その一枚が、いちばん調べていない一枚だということも、僕は知っていた。
報告会には、向井さんが最後の十五分だけ顔を出した。挨拶をして、秋の話を少しして、帰っていった。
その帰り道、駅までの八分で、向井さんは案件の話を一度もしなかった。子どもの中学受験の話をしていた。改札の前で、「じゃ、お疲れ」と言って、それで終わりだった。
僕は、何か言われると思っていた。よかったとも、足りないとも、言われなかった。
三週間の案件というのは、そういう終わり方をする。九ヶ月の案件には打ち上げがあって、焼き鳥屋で「よく粘った」と言われる。三週間には何もない。何もないことが、悪いわけでもない。
生活 ―― 平日の昼のスーパー
二十五歳。年収は五百八十万円。
家は会社から三十五分の1Kで、家賃は八万二千円。待機の二週間、僕は昼をほとんど家で食べた。
平日の一時にスーパーに行くと、人がいる。高齢の人と、小さい子を連れた人と、それから僕みたいな、よくわからない人。レジのおばさんは僕を覚えていて、三回目に「お休みなの?」と聞かれた。
僕は「はい」と答えた。答えてから、なぜ本当のことを言わなかったのかを考えた。
案件に入ってからは、家で食べなくなった。三週間、昼は全部コンビニだった。おにぎり二つと、野菜のカップと、コーヒー。合計は六百三十円くらいで、レシートを見ずに捨てるようになった。
体重は、待機の二週間で一キロ増えて、案件の三週間で戻った。それは動いたからではなくて、食べる時間が減ったからだと思う。
後記 ―― 見つけたかもしれないもの
その調査が、そのあとどう使われたのかを、僕は知らない。
秋に本番の案件を取りにいく、という話は、僕のところまでは降りてこなかった。取れたのか、取れなかったのか、誰も教えてくれない。教えてくれないというのは、たぶん、聞かなかったからだ。
十一月に、別の案件の帰りに駅ビルのカプセルトイの店の前を通った。
新しい機械が入っていて、そのうちの一つが、たぶん、あの会社の商品だった。たぶん、というのは、社名がどこにも書いていなかったからだ。玩具のカプセルには、小さい文字で会社の名前が入っている。中を見ないと、わからない。
僕は、四百円を入れなかった。
入れて確かめれば、わかったと思う。わかってどうなるわけでもない、とその場では思った。
いま書いていて、あのとき四百円入れておけばよかったと思っている。理由はうまく言えない。四百円だったのに。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。