「じゃあ、手取りはどうなるんですか」と、夜十時の試験室で聞かれた
装置が回っているあいだ、人は座って待っている。私はそこに答えがあると思っていた。答えは、営業が電話で交わしていた約束のほうにあった――楠が、時間の値段について書いた記録。
九月の第一週、私が最初に開いたのは、四百八十人ぶんのタイムカードのCSVだった。行数は、九万を超えていた。
楠です。三十歳。入社して七年目になる。
アサイン ―― 是正勧告のあと
クライアントは、分析を請け負う会社だった。
環境分析と食品分析の二本柱で、工場の排水を測ったり、食品の残留農薬を調べたり、井戸水の水質を証明したりする。試験所が五ヶ所、従業員は四百八十人。売上は七十二億円。
依頼のきっかけは、はっきりしていた。前年に労働基準監督署の是正勧告を受けている。三六協定の上限を超えた月が、複数の事業所で出ていた。
人も採れていなかった。分析には資格と経験がいる。募集をかけても、応募が来ない。来ても、続かない。
依頼は、労働時間の適正化と、それを前提にした要員配置の設計だった。期間は三ヶ月。チームは四人で、私はマネージャーの下で分析の実務を回す立場だった。
キックオフで、この会社の管理本部長は「時間を減らしたい」と言った。人件費の総額は増やせない、とも言った。
その二つが並んで置かれていることの意味を、私はそのときちゃんと考えなかった。
立ち上がり ―― 九万行
最初の三週間は、データの整備だった。
タイムカードの打刻と、分析装置のログと、受注管理システムの案件データ。三つを、日付と試験所と担当者でつなぐ。つないでみると、合わない行が二千件くらい出る。合わない理由を一つずつ潰していく。
平均残業時間は、月に四十五・二時間だった。
事業所ごとに差があった。いちばん多いところで五十八時間、少ないところで二十九時間。同じ仕事をしているのに、二倍近い。
私は、そこに手がかりがあると思った。
社内のレビューで、私は最初、こういう筋で説明した。効率のいい試験所とそうでない試験所があり、その差は作業のやり方にある。だから、やり方をそろえれば時間は減る。
梶井さんは「楠さん、それ、標準化の話にすると三ヶ月じゃ終わらないよ」と言った。
「終わらないから、やらないんですか」
「終わらないから、その筋で売ったんじゃないってこと」
私は、少しむっとした。むっとしたのは、たぶん、自分がその筋を思いついたことを気に入っていたからだ。
いま思うと、梶井さんは筋の善し悪しの話をしていなかった。三ヶ月で答えが出る問いを立てろ、と言っていた。そのことに気づくのに、私は二週間かかった。
夜十時の試験室
十月八日の水曜、私は本社に併設された試験所に、夜まで残った。
見たかったのは、装置が回っているあいだ、人が何をしているかだった。
分析には、待ち時間がある。前処理をして、装置にかけて、結果が出るまで時間がかかる。機器によっては一検体で四十分近く。その間、人は何をしているのか。
私の仮説は、その待ち時間が残業の正体だ、というものだった。待ちながら他の作業ができれば、時間は減る。減らせるはずだ。
試験室は、思っていたより明るかった。白い蛍光灯で、換気の音がずっとしている。廊下との間に前室があって、白衣に着替えて入る。夏でも空調が効いていて、私は少し寒かった。
三人が残っていた。
三十代の男性が二人と、四十代の女性が一人。装置が三台回っていて、一人は端末に向かって数値を打ち込み、一人は前処理の器具を洗い、一人は、座っていた。
座っていた人が、四十代の女性だった。
私は名乗って、いくつか聞いた。彼女は嫌がらずに答えてくれた。
待ち時間は、思っていたほど無駄になっていなかった。回している四十分のあいだに、次の検体の前処理をしている。並列でやるのが当たり前になっている。座っていたのは、記録を書く工程だからだった。手を洗って、白衣を替えて、記録に向かう。それも仕事の一部だ。
私は「じゃあ、なぜ十時なんですか」と聞いた。
彼女は「検体が三時に来るからです」と答えた。
三時に来る
翌日、受注管理のデータを納品期限で並べ直した。
この会社は、多くの分析を「翌営業日納品」で受けている。営業所で午後に検体を受け取って、夕方に試験所へ運ぶ。試験所に着くのが十五時から十六時。そこから前処理をして、装置にかけて、結果を確認して、報告書を作って、翌日の午前に出す。
逆算すると、二十二時までかかる。
なぜ翌営業日なのかを、営業に聞いた。
営業課長は「他がやってるからです」と言った。
「うちが三日って言ったら、お客さん、三日でやるところに出しますよ」
私は「三日でお願いしている案件は、どのくらいありますか」と聞いた。
課長は少し考えて、「わかんないです」と言った。
それから、こう続けた。
「三日でいいですか、って聞いたら、お客さんは『じゃあ三日で』って言いますよ。でも、聞かないでしょう、ふつう。聞いたら、うちが遅いって話になるから」
聞かない、というのが、この会社の営業の作法だった。二十年くらい、そうやってきたのだと思う。
わかっていなかった。納期の区分が、この会社には存在していなかった。すべての案件が、営業担当と客の口約束で決まっていて、システムには「翌営業日」としか入っていない。
実際に翌日でなければ困る検体は、全体の何割なのか。誰も数えていなかった。
私は、そこから二週間かけて数えた。
工事現場の水質のように、その日の作業可否に直結するものは、確かに翌日でないと困る。これが十九パーセント。定期的な測定で、報告書の提出期限が月末のものが四十四パーセント。残りは、その中間。
つまり、六割以上は、翌日でなくてもよかった。
二十九時間の試験所
数え終わったあと、私はもう一つ、確かめたいことがあった。
残業が月二十九時間で済んでいる事業所が、一ヶ所だけある。北関東の試験所で、人数は三十八人。扱っている検体の種類は、本社の試験所とほとんど同じだった。
なぜここだけ違うのか。
行ってみると、答えは拍子抜けするようなものだった。
この試験所の所長は、営業から来た人だった。五十一歳。試験の資格は持っていない。持っていないので、現場の作業には口を出さない。代わりに、営業所からの受注の電話を、自分が全部受けていた。
「うち、月末は受けないんですよ」
所長はそう言った。
月末の一週間、この試験所は新規の翌日案件を断っている。断って、近隣の試験所に回すか、納期を三日後にしてもらう。それを、この人が電話一本でやっていた。
社内の誰も、それを知らなかった。管理本部の資料には、この試験所は「効率が高い」と書かれている。効率ではない。断っているだけだ。
私は、これを中間報告に入れるかどうかで、二日迷った。
入れれば、この所長のやり方は「ルール違反」として見つかることになる。入れなければ、私たちの提案は根拠を一つ失う。
マネージャーの梶井さんに相談したら、「所長の名前を出さずに、事実だけ書けば」と言われた。
そのとおりにした。中間報告の資料には、「一部の事業所では受注段階で納期調整が行われている実態がある」と書いた。
書いてから、これは私が二日迷った結果として、いちばん薄い一行になったな、と思った。
十一月十二日 ―― 聞かれたこと
中間報告の前に、私は試験所で説明会をやらせてもらった。
現場の技術員に、途中経過を話す会だった。二十人くらい集まって、夜の七時から一時間。私は、納期の区分を三段階に分ける案を説明した。翌営業日、三営業日、五営業日。区分ごとに料金も変える。そうすれば、仕事が平準化して、夜の作業が減る。
数字も出した。うまくいけば、平均残業は月四十五時間から三十二時間くらいまで下がる。
説明が終わって、質問の時間になった。
最初に手が挙がったのは、あの四十代の女性だった。
「じゃあ、手取りはどうなるんですか」
私は、一瞬、質問の意味がわからなかった。
「今、私、残業が月に四十五時間くらいあって、それで手取りが出てるんです。三十二時間になったら、二万数千円減りますよね」
会議室が静かになった。静かになったということは、その場の全員が、同じことを思っていたということだ。
私は「基本給の見直しとセットで考えるべきだと思っています」と答えた。
答えてから、それが自分の仕事の範囲にないことを、はっきり自覚した。
私たちの契約書には、賃金制度の見直しは入っていない。フィーにも工数にも入っていない。管理本部長は初日に「人件費の総額は増やせない」と言った。
つまり、私は言えないことを言った。
十一月十九日 ―― 中間報告
役員への中間報告で、私は納期区分の案を出した。
反応は、悪くなかった。料金を分けることには営業本部長が抵抗したが、社長が「やってみよう」と言った。
そのあとで、管理本部長が言った。
「時間が減ると、残業代が減りますよね。それは、コスト削減になるという理解でいいですか」
私は「はい」と答えた。
答えるしかなかった。それは事実だからだ。年間で、たぶん四千万円くらい減る。
「じゃあ、それを原資に手当を作るという考え方もあります」と、私は付け足した。
管理本部長は「それは、うちで考えます」と言った。
そのとき、私は少しほっとした。ほっとしたことを、あとでずっと考えた。
私は、答えを渡したのではなくて、渡さなくていい理由を受け取っただけだった。
生活 ―― 例外
三十歳。年収は九百六十万円。
十月の私の労働時間は、記録上、月の残業に換算して百時間を少し超えていた。私は裁量労働制なので、残業という言い方はしない。実際、時間で払われてもいない。
説明会の帰り道、駅までの十四分、私はそのことを考えていた。
私は、四十五時間を三十二時間にしましょうと提案した人間で、自分は百時間働いている。
自分は違う、と思っていた。裁量があるから。時間ではなく成果で評価されるから。二十代のうちに濃く働くほうが得だから。理由は三つくらい、すぐに出てくる。
三つとも、たぶん、この会社の誰かも言えることだった。
十一月に入って、耳鳴りが出た。右耳の、高い音。耳鼻科に行ったら、聴力に問題はなくて、疲労と言われた。薬が出た。飲むと少し眠くなるので、二日でやめた。
コーヒーは、一日に五杯くらい飲む。二杯目までは味がする。
家は、会社まで四十分の1LDKで、家賃は十三万円。十月は、ほとんど寝に帰るだけだった。冷蔵庫に、九月に買った豆腐が入っていた。捨てるときに賞味期限を見た。もう見なくてもわかる、というのが正確なところだった。
最終報告
十二月十九日に、最終報告をした。
納期区分の三段階、料金表の改定案、それを前提にした要員配置と採用計画。
報告書の最後に、私は一行だけ入れた。「時間外手当の減少分の取り扱いについては、賃金制度の見直しとあわせて別途検討が必要」。
一行だ。ページの下のほうにある。
社長は「よくまとまってる」と言った。営業本部長は「現場が回るかは、やってみないと」と言った。管理本部長は、何も言わなかった。
打ち上げは、駅前の中華料理屋だった。私の隣に、あの四十代の女性が座った。
彼女は、説明会のことには触れなかった。代わりに、この仕事を選んだ理由の話をした。分析の仕事は、答えが出る。数字が出て、それが正しいか正しくないかがはっきりする。それが好きなのだと言った。
私は「わかります」と言った。
言ってから、私の仕事は答えが出ないな、と思った。思ったが、口に出さなかった。
後記 ―― 二人
翌年の六月、この会社の管理本部の人と、別件で電話をした。
残業は減っていた。平均で三十四時間だと言われた。私たちの見込みより、少し多い。それでも、四十五からは下がっている。
そのあとで、その人がこう言った。
「ただ、本社の試験所で、二人辞めたんですよ」
理由を聞いたら、「稼げなくなったから、って言ってました」と返ってきた。
二人のうち一人が誰かは、聞かなかった。
聞かなかったのは、聞いても私にできることがないからだ。それはたぶん正しい。正しいと思うことと、電話を切ったあとに三十分、席に座ったまま何もしなかったことは、別の話として、両方あった。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。