「その場合、お客様にお帰りいただきます」と書いた一行を、私は四回書き直した
我慢の限界を定義する仕事を、我慢しなくていい立場の人間がやる。その居心地の悪さは、最後まで消えなかった――塚原が、線の引き方について書いた記録。
十月の第二週、私が最初にもらったのは、「お客様の声」と印字されたカードの束だった。年間で三百二十枚。そのうち、苦情に分類されていたのは三十一枚だった。
塚原です。三十七歳。マネージャーになって二年目になる。
アサイン ―― 三十一枚
クライアントは、地方都市の百貨店だった。
本館と別館で一店舗。売上は二百十億円。直営の従業員が三百八十人で、テナントの販売員まで入れると、この建物には千八百人が働いている。
依頼は、顧客対応方針の策定と、店頭運営の見直しだった。期間は四ヶ月。
きっかけは、人事部長の説明では二つあった。
一つは、販売職の離職率が上がっていること。特に化粧品のフロアと、地下の食品。二つ目は、その年の春に、外商の担当者が休職したこと。
休職の理由は、直接には聞かされなかった。人事部長は「お客様との関係で、心身に負担が」とだけ言った。
私は「その件の記録はありますか」と聞いた。
「記録は、特にないです」
三百二十枚のカードのうち、苦情は三十一枚。この建物で、年間に三十一件しか嫌なことが起きていない。そんなわけがない。
案件は、そこから始まった。
立ち上がり ―― 記録がないという事実
最初の三週間で、私たちがやったのは、記録の様式を作ることだった。
分析するためのデータがないから、まず取る。取るための紙を作って、フロアに配る。
作った様式はA5一枚で、項目は五つ。日時、売り場、対応時間、内容の区分、対応した人数。名前は書かない。
配って三日で、二十件返ってきた。
一週間で五十四件。
三ヶ月で、三百八十件を超えた。
年間三十一件ではなかった。誰も嘘をついていない。書く場所がなかっただけだ。
いま思えば、この案件のいちばん大きい成果は、この紙だったかもしれない。四ヶ月かけた最後の報告書より、この紙一枚のほうが、たぶん効いた。
十一月 ―― 聞いた言葉
十一月に入って、私は売り場のヒアリングを始めた。三十七人に話を聞いた。
出てきた言葉を、いくつか書いておく。書き方は、言われた形のままにしてある。
「三時間ですね。同じことをずっと。途中でお手洗いに行かせてくださいって言ったら、逃げるのかって」
「土下座は言われないです。『店長出せ』は、一日一回はあります」
「返品で来られて、レシートがなくて、それで一時間半。品物、うちのじゃなかったんですけど」
「大きい声を出されると、他のお客様が離れていくので、それがいちばん困る。だから早く終わらせたくて、こっちが折れます」
「男の人が怖いってわけじゃないんですよ。だいたい、うちより年上の女性の方です」
最後の一つを言ったのは、化粧品のフロアの二十代の販売員だった。彼女は、それを言ったあとで「あ、これ言っていいのかな」と言った。
私は「大丈夫です」と答えた。
答えながら、私は「大丈夫」の中身を何も持っていなかった。
「これは、私の仕事です」
三十七人のうち、一人だけ、はっきりと違うことを言った人がいた。
婦人服のフロアにいる販売員で、五十九歳。この店に三十四年いる。売り場では、たぶんいちばん売る人だった。
私が方針の話をすると、彼女はこう言った。
「線を引くって、どういうことですか」
私は、一定の状況ではお客様に退店をお願いすることがある、という基準を作る話だと説明した。
彼女はしばらく黙って、それから言った。
「三時間かかるお客様、私、いますよ。月に二回来られる方で、毎回そのくらいかかります。買われるのは、年に二回くらいです」
「その方は、たぶん一人暮らしなんです。ご主人が亡くなって、七年になります」
「あれを、ハラスメントって呼ばれるんですか」
私は、答えられなかった。
彼女は続けた。
「三時間はね、私の仕事です。それを我慢って言われると、私が三十四年やってきたことは、何なんですか」
その日、私は本社の会議室に戻ってから、四十分くらい何も書けなかった。
彼女の言っていることは正しい。私が作ろうとしている基準は、「三時間の接客」を、放置していい側と止める側に分けようとしている。分けたときに、彼女の三十四年が、どちら側に置かれるのか。
同時に、私は思っていた。二十代のあの子には、その三時間は無理だ。三十四年やった人にできることを、三年目の人ができないのは、当たり前だ。
方針というのは、いちばんできる人に合わせて作るものではない。いちばん困っている人が続けられるところに合わせて作るものだ。
そう考えて、私は納得した。納得したが、彼女に対する説明を、最後まで作れなかった。
十二月 ―― 〇・四パーセント
十二月に、私は別の作業をした。
三ヶ月ぶんの記録票のうち、同じ人物と特定できる案件を抽出する作業だった。名前は書かれていないが、売り場と時間と内容の記述で、かなりの部分が突き合わせられる。
十一人が浮かんだ。
この十一人が、三百八十件のうち、九十四件を占めていた。
そのうち三人は、外商の顧客だった。年間の購買額がわかる。
三人ぶんを合計して、店の売上に対する比率を出した。〇・四パーセントだった。
私はこの数字を、中間報告に入れた。
外商部長は、資料が出た瞬間に「これは何のための数字ですか」と言った。
私は「取引を続けるかどうかを、感情ではなく金額で判断できるようにするための数字です」と答えた。
部長は「〇・四でも、うちの売上です」と言った。
それから、こう続けた。
「それに、あのお客様は、うちの外商が三十年かけて作った関係なんですよ。塚原さんは、そういうのを切れって言うんですか」
私は「切れとは言っていません」と答えた。
言っていないのは事実だった。ただ、私が数字を出した意図は、部長が読んだとおりだった。
千八百人のうち、三百八十人
一月に、思っていなかったところで止まった。
この建物で働く千八百人のうち、この百貨店が雇っているのは三百八十人だけだ。残りは、テナントの社員か、化粧品ブランドから派遣されている販売員か、食品の各店の従業員になる。
私が作っている方針は、雇用主としての方針だった。つまり、三百八十人にしか届かない。
いちばん記録票が多く上がってきたのは、化粧品のフロアと地下の食品だった。どちらも、ほとんどがテナント側の人だ。
法務担当の人に聞いた。
「うちが、よその会社の社員に『帰っていただきなさい』と指示することは、できないです」
できない理由は、いくつも出てきた。指示すれば指揮命令の問題になる。テナント側の判断を上書きすると、その結果の責任をこちらが負う。契約書にそういう条項はない。
一つずつは正しい。正しいものが十くらい並ぶと、何もできなくなる。
最終的に、この部分は「館としての考え方」という形にした。方針そのものではなく、館内の共通ルールとしてテナント会に提示し、各社が自社の方針として採用するかどうかを決める。館の警備と、上長の呼び出しは、テナントの販売員からも使えるようにした。
つまり、強制はできないが、呼べるようにはする。
テナント会での説明は、二月の下旬にあった。私は同席したが、説明したのは百貨店の営業部長だった。
そのとき、化粧品のブランドの一社から質問が出た。
「これ、うちの子が呼んだとして、来てくれるのは何分後ですか」
営業部長は「すぐ行きます」と答えた。
質問した人は「はい」と言った。納得した「はい」ではなかったと思う。
私は、その「何分後ですか」という質問を、いまでもときどき思い出す。方針の文書には、時間が一つも書いていない。書けなかった。書けなかったところに、いちばん大事なものがあった気がしている。
四回書き直した一行
方針の本体は、A4で六ページになった。
三段階の対応を定めた。記録する。二人以上で対応する。それでも継続する場合は、退店をお願いする。
いちばん時間をかけたのは、三段階目の一行だった。
最初に書いたのは、「悪質と判断される場合、お客様にお帰りいただきます」だった。
「悪質」という言葉を、私は消した。誰が判断するのかが決まらないからだ。現場に判断させると、現場が背負う。
二回目は、「以下のいずれかに該当する場合」として、具体的な行為を五つ並べた。これは、店長会議で「これに当てはまらないものは我慢しろということになる」と指摘された。そのとおりだった。
三回目は、時間で切った。「対応が九十分を超えた場合」。これは営業部長が反対した。九十分という数字の根拠がない。実際、根拠はなかった。記録票の中央値と四分位から出した数字だが、それは「多い」の説明であって「限界」の説明ではない。
四回目に書いたのが、最終版になった。
該当する行為を例示したうえで、「これらに限らず、対応する従業員が継続困難と判断した場合、上長は対応を引き取り、必要に応じてお帰りいただくことがある」。
判断の主語を、対応者に置いた。ただし、その判断の結果を上長が引き取る、という形にした。
これがいちばん良い、とは思っていない。四回書いて、これ以上は思いつかなかった、というだけだ。
生活 ―― 立ってみた日
三十七歳。年収は千三百二十万円。
十二月の第三週、私は一日だけ、売り場に立たせてもらった。接客はしない。フロアの端で、四時間、立っているだけ。
三時間目に、足の裏が痛くなった。
床は硬い。カーペットが敷いてあるが、その下はコンクリートだ。売り場の人は、これを一日八時間、週に五日やっている。
その日履いていたのは、私がふだん客先に行くときの靴だった。ヒールが四センチある。売り場の人たちの靴を見ると、もっと低い。低いが、みんな同じ形をしている。
帰りの新幹線で、靴を脱いだ。隣の席が空いていてよかった。
家に帰ったのは二十三時半だった。母と二人で住んでいる。母は起きていて、「ごはん、ある」と言った。私は「食べてきた」と答えた。食べていなかった。
翌朝、母が「あんた、昨日の靴、玄関に転がってたよ」と言った。
自分の声
もう一つ、この案件のあいだに考えたことがある。
私は二年前にマネージャーになって、初めて人を持った。この案件のチームは四人で、うち二人が入社三年目以下だった。
十一月の下旬、深夜のレビューで、私は若手の一人の資料に対して「これ、何回目?」と言った。
言ったあと、自分の声を聞いた。
我慢の線を引く仕事をしている人間が、自分のチームでどういう声を出しているか。
その日、彼女は何も言わずに直して、翌朝に出してきた。よくなっていた。
よくなっていたので、私は「これでいい」と言った。それだけ言った。
謝らなかったのは、たぶん、謝ると自分が楽になるからだ。楽になりたくなかったのか、面倒だったのか、いまでもわからない。
最終報告と、そのあと
二月六日に、最終報告をした。
方針の本体、記録の様式、上長のための判断フロー、それから研修の教材。研修は三月から、全フロアで実施することになった。
社長は「これで、うちは変われますかね」と言った。
私は「方針は、変わるための道具です」と答えた。
いま思うと、これは何も答えていない。
後記 ―― 一度も使われていない
八月に、人事部の担当者と電話をした。
方針は運用されていた。記録票は月に百件前後で安定している。研修は全員が受けた。
退店をお願いした事例は、その時点で、一件もなかった。
担当者は「効果が出てるんだと思います」と言った。
私は「そうですね」と答えた。
答えながら、別のことを考えていた。一件も使われていないというのは、二つの意味がありうる。誰も限界まで行かなくなったのか、それとも、限界まで行っても誰も使えないのか。
区別する方法は、たぶん、記録票の中身を読むしかない。私はもう、それを読める立場にいない。
婦人服のあの人が、いまも三時間の接客をしているのかどうかも、聞かなかった。
聞かなかった理由は、はっきりしている。していると言われても、していないと言われても、私はどちらにも、何も言えなかったからだ。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。