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体験記 No. 57

「この一カットに何時間かかりますか」と聞いて、部屋の音が止まった

案件アニメ・映像制作会社・制作進行の管理と外注費の可視化
話の中心立ち上がり
語り手鷲尾 / 28歳・中途1年目(前職・食品メーカーの経理)
読了約8分 · 5,100字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
発注書のない発注が全体の47%制作進行の手帳はB6の紙

数字にすると死ぬものがある、と言われた。反論を三つ用意していて、三つとも口に出さなかった――鷲尾が、測れないものの測り方について書いた記録。

十月二十九日の二十三時十分、僕はスタジオの三階にいた。人が十四人いて、誰も喋っていなかった。

鷲尾です。二十八歳。中途で入って、一年目になる。

アサイン ―― 原価がわかる人

クライアントは、映像の制作会社だった。

アニメーションを作っている。元請けで企画から入る作品もあるが、収入の半分近くは、他社から工程を受ける仕事だった。従業員は九十五人。売上は三十四億円。

依頼は、作品ごとの採算が見えるようにすること。

この会社では、作品の制作費が締まるのが、納品の五、六ヶ月後だった。請求が遅れて上がってくるからだ。締まったころには、次の作品が二本走っている。

社長は五十四歳で、演出出身の人だった。初回の打ち合わせで「うち、儲かってるのか儲かってないのか、終わるまでわかんないんですよ」と言った。笑いながら言っていた。

僕がこの案件に入ったのは、前職が食品メーカーの経理だったからだ。四年、原価計算をやっていた。標準原価を置いて、実際と比べて、差異を分けて、月次で説明する。それが仕事だった。

マネージャーの内村さんが「鷲尾、原価わかるでしょ」と言った。

僕は「わかります」と答えた。答えたときの「わかります」の中身は、四年間の食品工場のことだった。

立ち上がり ―― 何時間ですか

初日にスタジオを見せてもらった。

三階建てのビルで、一階が総務と会議室。二階が制作。三階が作画と仕上げ。エレベーターはない。

三階は、思っていたより静かだった。人が机に向かっている。紙がある。液晶タブレットもある。両方ある。壁に、日程表が貼ってある。手書きだった。

僕は、案内してくれた制作部長に聞いた。

「この一カットに、何時間かかりますか」

部長は「え」と言った。

近くにいた人が何人か、顔を上げた。

しばらく誰も何も言わなかった。三秒か四秒だと思う。

部長は「カットによります」と答えた。

僕は「平均でいいんですが」と言った。

部長は「平均は、たぶん、意味ないです」と答えた。

僕は納得しなかった。平均に意味がない、というのは、平均を出したことがない人の言い方だ。前職でも同じことを言われた。ラインごとに違う、製品ごとに違う、その日の湿度で違う。違うものを、それでも一本の数字にするのが原価計算だと思っていた。

いま書いていると、僕はこのとき、相手が何を守ろうとしていたのかを一度も考えていない。

手帳

二週目に、制作進行の人たちに話を聞いた。

制作進行は十二人いた。作画や仕上げの外注先に発注して、回収して、次の工程に渡す。作品の物理的な進行を持つ仕事だ。年齢は、二十代前半が多かった。

一人ずつ、どう管理しているか聞いた。

全員が、手帳を出した。

B6くらいの、市販のノートだった。中は、線を引いて表にしてある。カット番号、出した先、出した日、上がる予定の日、上がった日。

書き方は、人によって全然違う。色を使う人もいる。付箋を貼る人もいる。

会社の管理システムにも、同じことを入れる欄がある。入っていた。ただし、入力は「上がったあと」だった。

つまり、システムには結果しか入っていない。途中は、この十二冊のノートの中にしかない。

一人が言った。二十四歳の男性だった。

「システム、打ってる時間ないんですよ。夜、車で回るんで」

回る、というのは、外注先に原画を取りに行くという意味だった。データで送れるものも多いが、紙で受け渡すものはまだあるし、そもそも「取りに行く」ことが催促を兼ねている。

僕は「それ、月に何日くらいですか」と聞いた。

彼は手帳をめくって、数えた。

「先月、十九日ですね」

四十七パーセント

三週目に、発注のデータを出してもらった。

一年ぶんの外注費の支払明細と、発注書の控えを突き合わせた。

支払は千九百件あった。発注書があったのは、千件ちょうど。

四十七パーセントの発注に、発注書がなかった。

方法は、電話と、メッセージアプリと、口頭だった。特にメッセージアプリが多い。制作進行の個人の端末で、外注先の個人とやりとりしている。

会社の誰も、その中身を見られない。

僕は、これを最初、統制の問題として書こうとした。書きかけて、やめた。

やめたのは、その週にもう一つわかったことがあったからだ。

単価が、人ごとに違った。

同じ工程で、同じくらいの難度のカットでも、一枚四千二百円の人と、一枚千七百五十円の人がいた。差は、大きいところで二・四倍あった。

理由を制作部長に聞いたら、「うまさです」と言われた。

「あと、昔からうちを助けてくれてる人には、下げないです」

単価表を作りかけた

十一月の初め、僕は外注先ごとの単価の一覧を作った。

工程別に、支払実績から逆算した単価を並べた表だった。名前は伏せて、記号にした。それでも、制作進行の人が見れば誰かはわかる。

内村さんに見せたら、「これ、誰に出すの」と聞かれた。

僕は「経営会議です」と答えた。

「出したら、次の会議で何が起きると思う?」

僕は少し考えて、「高い人を下げる話が出ます」と答えた。

「うん。それ、鷲尾がやりたいことなの?」

やりたいことではなかった。

僕がやりたかったのは、作品ごとの原価が見えるようにすることだった。単価表は、そのための材料の一つでしかない。ただ、材料は、出せば材料以外の使われ方をする。

結局、この表は経営会議には出さなかった。作品別の原価の内訳としてだけ使って、単価そのものは分布の形にした。個人が特定できない形だ。

それでも、二月の報告のあとで、経理の担当者から「あの分布、いちばん右の人って誰ですか」と聞かれた。

僕は「お答えしないことになっています」と答えた。

答えながら、この表を作ったのは僕だな、と思った。

「それやると、うちの絵は死にますよ」

十一月の中旬、僕は途中経過を出した。

出したのは、工程別の標準工数と、そこから積み上げた作品別の予定原価の案だった。前職でやっていた型を、この会社に置き換えたものだ。

原画、動画、彩色、背景、撮影。それぞれに標準の時間を置く。難度でA・B・Cの三段階を付ける。それを掛けて、作品の予定原価を出す。実績と比べて、差異を工程ごとに分ける。

説明の途中で、演出をやっている人が口を開いた。四十代の男性で、この会社に十九年いる人だった。

「それやると、うちの絵は死にますよ」

僕は「どういう意味でしょうか」と聞いた。

「難度Bって決めたら、Bの手間しかかけられなくなるでしょう。うちの作品でいちばん見られるところは、たいてい、予定になかったところに時間かけたカットなんですよ」

僕は、反論を三つ用意していた。

標準は上限ではないこと。差異が出ることは想定していること。むしろ「どこに時間をかけたか」が見えるようになること。

三つとも、口に出さなかった。

出さなかった理由は、正しさに自信がなかったからではない。三つとも正しいと思っていた。ただ、この人が言っているのは、たぶん、僕の三つの反論が全部通ったあとの話だった。

数字を置くと、置いた数字のほうを人が見る。それは、前職でも起きていたことだった。標準原価を置いた製品は、必ず標準に寄っていく。寄るのが良いことだと、僕は四年間、疑わなかった。

制作部長が言ったこと

その日の帰り、制作部長に一階まで送られた。

部長は五十歳で、二十年以上この業界にいる。

「鷲尾さん、悪気ないのはわかってるんですけど」

「食品と一緒にしないでほしいんですよ」

僕は「はい」と言った。

言いながら、僕は心の中で、一緒だと思っていた。

工場でも、同じことを言われた。うちの製品は特殊だ、他と違う、数字にはならない。そう言われたラインを、僕は四年かけて数字にした。数字にしたら、無駄が見えた。見えたものを削って、原価は下がった。それは正しかったと、いまでも思う。

だから僕は、この人の言っていることを、抵抗として聞いていた。

一階の自動ドアのところで、部長がこう言った。

「うちの若いのが辞めるのは、金じゃないんですよ。自分が何やってるかわかんなくなるからです」

その一言だけ、僕は反論を思いつかなかった。

十二月 ―― 効いたのは別のこと

年内の途中報告で、僕は標準工数の話を落とした。

代わりに出したのは、発注の日付を記録するだけの仕組みだった。

やることは単純だ。制作進行が、いつ、誰に、何カット出したかを、その日のうちに記録する。上がった日ではなく、出した日を記録する。

一ヶ月やってみて、わかったことがあった。

遅れている作品では、発注そのものが遅れていた。

原画が上がらないから動画が遅れる、のではない。原画を出すのが予定より十日遅れていて、その十日が、後ろの工程に丸ごと乗っていた。後ろの工程は、締切だけ動かないので、そこで詰める。

つまり、いちばん後ろの人がいちばん無理をしている。

これは、現場の全員が体で知っていたことだった。知っていたが、数字で見たのは初めてだと言われた。

このとき僕が使ったのは、原価計算ではなかった。ただ日付を並べただけだ。

前職で四年やったことは、この案件では、ほとんど使わなかった。使ったのは、「記録がないと何も言えない」という一点だけだった。

生活 ―― 二十三時十分

二十八歳。年収は八百六十万円。前職より二百四十万円上がった。

上がったが、この案件のあいだ、僕は前職の同僚に会わなかった。会うと、いまの仕事を説明することになる。説明できる気がしなかった。

十月と十一月は、週に三日、スタジオにいた。帰りは、いつも二十三時を過ぎていた。

三階は、夜になると寒い。空調が二十二時で切れる設定になっていて、切れたあとは、みんな上着を着ている。ひざ掛けをしている人もいた。

匂いがあった。紙と、消しゴムのカスと、あと、たぶんインスタントの味噌汁の匂い。給湯室に、電気ポットが一つあった。

十四人いて、誰も喋っていない時間が、一日に何度かある。その時間に、僕はパソコンのキーを打つのをためらった。音が響くからだ。

住んでいるのは、会社から二十五分の1DKで、家賃は十万五千円。前職のときは、実家から通っていた。

十二月に、目が痛くなって眼科に行った。ドライアイと言われた。目薬をもらった。三百四十円だった。診察のとき、医師に「モニター、何時間見ますか」と聞かれて、僕は答えられなかった。

答えられなかったことが、少しおかしかった。僕は、その二ヶ月、人に時間を聞いて回っていた。

最終報告

二月十三日に、最終報告をした。

出したのは、発注記録の運用、外注先ごとの支払データの整備、それから、作品別の原価を納品後二ヶ月で締めるための業務フロー。

標準工数は、結論の中に入れなかった。

代わりに、報告書に一行だけ書いた。「工程別の標準時間の設定は、現時点では推奨しない」。

理由も書いた。この会社の競争力は、予定外に時間をかけた部分にあり、それを一律の基準で管理すると、管理の対象になった時点で価値が変質する可能性がある。

内村さんは、この一行を消さなかった。

「まあ、これは鷲尾が現場で見たことだから」と言われた。

社長は、報告のあとで「うちのこと、ちょっとわかってきたね」と言った。

僕は「まだです」と答えた。

その答えは、謙遜ではなかった。

後記 ―― 色が変わった

翌年の秋、別の案件の関係で、映像業界の人と話す機会があった。

その人が、あの会社の名前を出した。

「あそこ、最近、絵の感じ変わりましたよね」

僕は「そうですか」と言った。

どう変わったのかを、その人は言葉にしなかった。「まとまってきた」と言った。褒めているのか、そうでないのか、わからない言い方だった。

僕がやったのは、発注の日付を記録することだった。標準工数は入れていない。入れないほうがいいと、報告書に書いた。書いた一行を、僕はいまでも正しかったと思っている。

思っているが、あの部屋で三秒か四秒、音が止まったことを、ときどき思い出す。

あのとき止まったのは、答えられなかったからではなかったのだと思う。答えを出すと何かが変わることを、あの部屋の人たちは、僕より先に知っていた。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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