「この一カットに何時間かかりますか」と聞いて、部屋の音が止まった
数字にすると死ぬものがある、と言われた。反論を三つ用意していて、三つとも口に出さなかった――鷲尾が、測れないものの測り方について書いた記録。
十月二十九日の二十三時十分、僕はスタジオの三階にいた。人が十四人いて、誰も喋っていなかった。
鷲尾です。二十八歳。中途で入って、一年目になる。
アサイン ―― 原価がわかる人
クライアントは、映像の制作会社だった。
アニメーションを作っている。元請けで企画から入る作品もあるが、収入の半分近くは、他社から工程を受ける仕事だった。従業員は九十五人。売上は三十四億円。
依頼は、作品ごとの採算が見えるようにすること。
この会社では、作品の制作費が締まるのが、納品の五、六ヶ月後だった。請求が遅れて上がってくるからだ。締まったころには、次の作品が二本走っている。
社長は五十四歳で、演出出身の人だった。初回の打ち合わせで「うち、儲かってるのか儲かってないのか、終わるまでわかんないんですよ」と言った。笑いながら言っていた。
僕がこの案件に入ったのは、前職が食品メーカーの経理だったからだ。四年、原価計算をやっていた。標準原価を置いて、実際と比べて、差異を分けて、月次で説明する。それが仕事だった。
マネージャーの内村さんが「鷲尾、原価わかるでしょ」と言った。
僕は「わかります」と答えた。答えたときの「わかります」の中身は、四年間の食品工場のことだった。
立ち上がり ―― 何時間ですか
初日にスタジオを見せてもらった。
三階建てのビルで、一階が総務と会議室。二階が制作。三階が作画と仕上げ。エレベーターはない。
三階は、思っていたより静かだった。人が机に向かっている。紙がある。液晶タブレットもある。両方ある。壁に、日程表が貼ってある。手書きだった。
僕は、案内してくれた制作部長に聞いた。
「この一カットに、何時間かかりますか」
部長は「え」と言った。
近くにいた人が何人か、顔を上げた。
しばらく誰も何も言わなかった。三秒か四秒だと思う。
部長は「カットによります」と答えた。
僕は「平均でいいんですが」と言った。
部長は「平均は、たぶん、意味ないです」と答えた。
僕は納得しなかった。平均に意味がない、というのは、平均を出したことがない人の言い方だ。前職でも同じことを言われた。ラインごとに違う、製品ごとに違う、その日の湿度で違う。違うものを、それでも一本の数字にするのが原価計算だと思っていた。
いま書いていると、僕はこのとき、相手が何を守ろうとしていたのかを一度も考えていない。
手帳
二週目に、制作進行の人たちに話を聞いた。
制作進行は十二人いた。作画や仕上げの外注先に発注して、回収して、次の工程に渡す。作品の物理的な進行を持つ仕事だ。年齢は、二十代前半が多かった。
一人ずつ、どう管理しているか聞いた。
全員が、手帳を出した。
B6くらいの、市販のノートだった。中は、線を引いて表にしてある。カット番号、出した先、出した日、上がる予定の日、上がった日。
書き方は、人によって全然違う。色を使う人もいる。付箋を貼る人もいる。
会社の管理システムにも、同じことを入れる欄がある。入っていた。ただし、入力は「上がったあと」だった。
つまり、システムには結果しか入っていない。途中は、この十二冊のノートの中にしかない。
一人が言った。二十四歳の男性だった。
「システム、打ってる時間ないんですよ。夜、車で回るんで」
回る、というのは、外注先に原画を取りに行くという意味だった。データで送れるものも多いが、紙で受け渡すものはまだあるし、そもそも「取りに行く」ことが催促を兼ねている。
僕は「それ、月に何日くらいですか」と聞いた。
彼は手帳をめくって、数えた。
「先月、十九日ですね」
四十七パーセント
三週目に、発注のデータを出してもらった。
一年ぶんの外注費の支払明細と、発注書の控えを突き合わせた。
支払は千九百件あった。発注書があったのは、千件ちょうど。
四十七パーセントの発注に、発注書がなかった。
方法は、電話と、メッセージアプリと、口頭だった。特にメッセージアプリが多い。制作進行の個人の端末で、外注先の個人とやりとりしている。
会社の誰も、その中身を見られない。
僕は、これを最初、統制の問題として書こうとした。書きかけて、やめた。
やめたのは、その週にもう一つわかったことがあったからだ。
単価が、人ごとに違った。
同じ工程で、同じくらいの難度のカットでも、一枚四千二百円の人と、一枚千七百五十円の人がいた。差は、大きいところで二・四倍あった。
理由を制作部長に聞いたら、「うまさです」と言われた。
「あと、昔からうちを助けてくれてる人には、下げないです」
単価表を作りかけた
十一月の初め、僕は外注先ごとの単価の一覧を作った。
工程別に、支払実績から逆算した単価を並べた表だった。名前は伏せて、記号にした。それでも、制作進行の人が見れば誰かはわかる。
内村さんに見せたら、「これ、誰に出すの」と聞かれた。
僕は「経営会議です」と答えた。
「出したら、次の会議で何が起きると思う?」
僕は少し考えて、「高い人を下げる話が出ます」と答えた。
「うん。それ、鷲尾がやりたいことなの?」
やりたいことではなかった。
僕がやりたかったのは、作品ごとの原価が見えるようにすることだった。単価表は、そのための材料の一つでしかない。ただ、材料は、出せば材料以外の使われ方をする。
結局、この表は経営会議には出さなかった。作品別の原価の内訳としてだけ使って、単価そのものは分布の形にした。個人が特定できない形だ。
それでも、二月の報告のあとで、経理の担当者から「あの分布、いちばん右の人って誰ですか」と聞かれた。
僕は「お答えしないことになっています」と答えた。
答えながら、この表を作ったのは僕だな、と思った。
「それやると、うちの絵は死にますよ」
十一月の中旬、僕は途中経過を出した。
出したのは、工程別の標準工数と、そこから積み上げた作品別の予定原価の案だった。前職でやっていた型を、この会社に置き換えたものだ。
原画、動画、彩色、背景、撮影。それぞれに標準の時間を置く。難度でA・B・Cの三段階を付ける。それを掛けて、作品の予定原価を出す。実績と比べて、差異を工程ごとに分ける。
説明の途中で、演出をやっている人が口を開いた。四十代の男性で、この会社に十九年いる人だった。
「それやると、うちの絵は死にますよ」
僕は「どういう意味でしょうか」と聞いた。
「難度Bって決めたら、Bの手間しかかけられなくなるでしょう。うちの作品でいちばん見られるところは、たいてい、予定になかったところに時間かけたカットなんですよ」
僕は、反論を三つ用意していた。
標準は上限ではないこと。差異が出ることは想定していること。むしろ「どこに時間をかけたか」が見えるようになること。
三つとも、口に出さなかった。
出さなかった理由は、正しさに自信がなかったからではない。三つとも正しいと思っていた。ただ、この人が言っているのは、たぶん、僕の三つの反論が全部通ったあとの話だった。
数字を置くと、置いた数字のほうを人が見る。それは、前職でも起きていたことだった。標準原価を置いた製品は、必ず標準に寄っていく。寄るのが良いことだと、僕は四年間、疑わなかった。
制作部長が言ったこと
その日の帰り、制作部長に一階まで送られた。
部長は五十歳で、二十年以上この業界にいる。
「鷲尾さん、悪気ないのはわかってるんですけど」
「食品と一緒にしないでほしいんですよ」
僕は「はい」と言った。
言いながら、僕は心の中で、一緒だと思っていた。
工場でも、同じことを言われた。うちの製品は特殊だ、他と違う、数字にはならない。そう言われたラインを、僕は四年かけて数字にした。数字にしたら、無駄が見えた。見えたものを削って、原価は下がった。それは正しかったと、いまでも思う。
だから僕は、この人の言っていることを、抵抗として聞いていた。
一階の自動ドアのところで、部長がこう言った。
「うちの若いのが辞めるのは、金じゃないんですよ。自分が何やってるかわかんなくなるからです」
その一言だけ、僕は反論を思いつかなかった。
十二月 ―― 効いたのは別のこと
年内の途中報告で、僕は標準工数の話を落とした。
代わりに出したのは、発注の日付を記録するだけの仕組みだった。
やることは単純だ。制作進行が、いつ、誰に、何カット出したかを、その日のうちに記録する。上がった日ではなく、出した日を記録する。
一ヶ月やってみて、わかったことがあった。
遅れている作品では、発注そのものが遅れていた。
原画が上がらないから動画が遅れる、のではない。原画を出すのが予定より十日遅れていて、その十日が、後ろの工程に丸ごと乗っていた。後ろの工程は、締切だけ動かないので、そこで詰める。
つまり、いちばん後ろの人がいちばん無理をしている。
これは、現場の全員が体で知っていたことだった。知っていたが、数字で見たのは初めてだと言われた。
このとき僕が使ったのは、原価計算ではなかった。ただ日付を並べただけだ。
前職で四年やったことは、この案件では、ほとんど使わなかった。使ったのは、「記録がないと何も言えない」という一点だけだった。
生活 ―― 二十三時十分
二十八歳。年収は八百六十万円。前職より二百四十万円上がった。
上がったが、この案件のあいだ、僕は前職の同僚に会わなかった。会うと、いまの仕事を説明することになる。説明できる気がしなかった。
十月と十一月は、週に三日、スタジオにいた。帰りは、いつも二十三時を過ぎていた。
三階は、夜になると寒い。空調が二十二時で切れる設定になっていて、切れたあとは、みんな上着を着ている。ひざ掛けをしている人もいた。
匂いがあった。紙と、消しゴムのカスと、あと、たぶんインスタントの味噌汁の匂い。給湯室に、電気ポットが一つあった。
十四人いて、誰も喋っていない時間が、一日に何度かある。その時間に、僕はパソコンのキーを打つのをためらった。音が響くからだ。
住んでいるのは、会社から二十五分の1DKで、家賃は十万五千円。前職のときは、実家から通っていた。
十二月に、目が痛くなって眼科に行った。ドライアイと言われた。目薬をもらった。三百四十円だった。診察のとき、医師に「モニター、何時間見ますか」と聞かれて、僕は答えられなかった。
答えられなかったことが、少しおかしかった。僕は、その二ヶ月、人に時間を聞いて回っていた。
最終報告
二月十三日に、最終報告をした。
出したのは、発注記録の運用、外注先ごとの支払データの整備、それから、作品別の原価を納品後二ヶ月で締めるための業務フロー。
標準工数は、結論の中に入れなかった。
代わりに、報告書に一行だけ書いた。「工程別の標準時間の設定は、現時点では推奨しない」。
理由も書いた。この会社の競争力は、予定外に時間をかけた部分にあり、それを一律の基準で管理すると、管理の対象になった時点で価値が変質する可能性がある。
内村さんは、この一行を消さなかった。
「まあ、これは鷲尾が現場で見たことだから」と言われた。
社長は、報告のあとで「うちのこと、ちょっとわかってきたね」と言った。
僕は「まだです」と答えた。
その答えは、謙遜ではなかった。
後記 ―― 色が変わった
翌年の秋、別の案件の関係で、映像業界の人と話す機会があった。
その人が、あの会社の名前を出した。
「あそこ、最近、絵の感じ変わりましたよね」
僕は「そうですか」と言った。
どう変わったのかを、その人は言葉にしなかった。「まとまってきた」と言った。褒めているのか、そうでないのか、わからない言い方だった。
僕がやったのは、発注の日付を記録することだった。標準工数は入れていない。入れないほうがいいと、報告書に書いた。書いた一行を、僕はいまでも正しかったと思っている。
思っているが、あの部屋で三秒か四秒、音が止まったことを、ときどき思い出す。
あのとき止まったのは、答えられなかったからではなかったのだと思う。答えを出すと何かが変わることを、あの部屋の人たちは、僕より先に知っていた。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。