「取引そのものはあったんです」と、部長は四回言った
証明するのではなく、否定できなくするまで事実を積む――迫田が、段ボール四十一箱と千百枚の注文書をめくった六週間の記録。
注文書には、日付と、品番と、数量と、担当者の印が入っている。
私たちが見ていたのは、そのうちの日付だけだった。
三社をまたいで、同じ品番が、同じ日に、三枚の注文書になっている。
数量も同じで、単価だけが一枚ごとに二パーセントずつ上がっている。
それが百八十七組あった。
迫田です。三十四歳。この会社に中途で入って、一年目になる。
アサイン ―― 十一月の金曜
連絡は十九時過ぎに来た。パートナーの網干さんからの電話だった。
「月曜から、調査の案件に入ってもらえますか」
場所は都内。期間は、とりあえず六週間と言われた。
案件の名前は言われなかった。コードネームで呼ぶ、とだけ言われた。
私は前の会社で、内部監査室に四年いた。やっていたのは支店の現金の実査と、業務監査の調書作りだ。
不正の調査は一度だけある。経費の付け替えで、金額は百四十万円だった。
今回は売上の計上に関わるものだと、月曜の朝に聞いた。
クライアントは電子部品の専門商社で、売上は四百二十億円くらい。従業員は三百人弱。上場している。
社内の通報窓口に一通のメールが来たのが発端だった。内容は三行だったらしい。
その三行で、第三者委員会が立った。委員は弁護士が二人と公認会計士が一人。
私たちはその下で事実の調査をやる。ファームからは四人。網干さんと、マネージャーの戸田さんと、三年目の中務さんと、私だ。
金曜の夜に電話を切ったあと、私は土曜と日曜に何もしなかった。
正確には、クローゼットの整理を四時間やった。
前の会社で使っていた監査の調書の控えが、紙で残っていた。それを捨てるかどうかで、三十分迷って、捨てなかった。
月曜の朝に、その控えの表紙の様式を思い出しながら、新しいノートの一ページ目を作った。
案件のコードネームは、果物の名前だった。どの果物かは書かない。
立ち上がり ―― 十一月の第三週
最初の三日は、資料の受領だった。
段ボールが、会議室に四十一箱入ってきた。
中身は注文書、注文請書、納品書、検収書、請求書、入金の記録。あとは営業部の日報。過去四年分。
電子データもあった。基幹システムから出した取引の明細が、六十八万行。
戸田さんが、最初にこう言った。
「迫田さん、この案件で私たちがやるのは、証明じゃなくて、否定できなくすることです」
意味が分からなかったので聞いた。
「不正があったことを証明するんじゃなくて、不正がなかったという説明が成り立たないところまで、事実を積むんです」
その違いは作業の順番に出る。
先に「怪しい取引」を探すと、怪しく見えるものだけが集まる。だから先に全部の取引に同じ条件をかけて、引っかかったものを人の判断を入れずに抽出する。
抽出の条件を作るのに、二日かかった。
条件を作る
最初に置いた条件は四つだった。
一、仕入と販売が同じ日に計上されている。二、粗利率が二パーセント未満。三、商品が自社の倉庫を通っていない。四、取引の相手が仕入先と販売先の両方に名前がある。
六十八万行にかけて、引っかかったのが四千二百行だった。
多すぎる、と戸田さんが言った。
多すぎる理由は三番目だった。この会社は直送が多い。倉庫を通らない取引は、普通の商売でもたくさんある。
三番目を外して、代わりに「同じ品番が三社以上を一巡している」を入れた。
これを判定するのが面倒で、取引の連鎖を辿る必要がある。中務さんが二日でそれを書いた。品番と日付でつないで、閉じた輪になっているものだけを出す。
輪が百八十七組出た。関わっている会社は、自社を含めて九社。
金額は四年で三十一億円だった。売上の四百二十億に対して、七・四パーセント。
この数字を見たとき、私は何も思わなかった。
思わなかったことを、あとで少し気にした。
紙に戻る
数字が出たあと、紙に戻る作業が始まった。
六十八万行はシステムの記録で、記録は書き換えられる。だから注文書の紙を見る。
百八十七組の輪に含まれる注文書は、全部で千百枚を超えていた。
四十一箱の段ボールから、それを探す。箱の中は年度と部署で分かれているが、その中は日付順でもなかった。
一枚ずつめくる。三日やった。
指が乾いて、紙がめくれなくなる。
中務さんがハンドクリームを持ってきて、机に置いた。無言で置いて、自分の分も塗っていた。
紙には匂いがある。四年前の注文書の束は、少し埃の匂いがした。
めくっているうちに、気づいたことがあった。
同じ輪に入っている三枚の注文書の、注文者の名字は違うのに、日付の「7」の書き方が三社とも同じだった。横棒が入っている。
これを戸田さんに見せたら、十五秒くらい見て、「これは出さないでください」と言った。
筆跡は専門家でないと判断できない。私たちが書けるのは「同一の様式が用いられていた」までで、「同じ人が書いた」は書けない。
書きたかった。書きたいと思ったことが、少し嫌だった。
日報 ―― 十二月の第一週
輪の抽出が終わってから、営業部の日報を読む作業に回された。
四年分で、A4に印刷すると二千三百枚くらいあった。
日報は、営業の一人が一日に三行から五行書くものだ。訪問した先と、話した内容と、次にやること。
書いている人は十一人いて、書き方の癖が全部違った。
ある人は「○○商事、挨拶」で終わる。別の人は、相手の担当者の体調まで書いていた。
私が探していたのは、輪に入っている取引の日付の前後に、何が書かれているかだった。
ほとんどは何も書かれていなかった。
輪の取引の日に、日報が空欄になっていることが多かった。訪問していない取引だからだ。
ただ、一つだけ、三年前の九月の日報に、こう書いてあった。
「数量だけ確認。先方も同じ形でお願いしたいとのこと」
同じ形、が何なのかは書いていない。
この一行を、戸田さんに見せた。
戸田さんは「これは使えます」と言った。使える理由は、推定を足さずにそのまま引用できるからだった。
報告書の別紙に、この一行は原文のまま載っている。
載っているのを公表後に見たとき、私は少し嫌な気持ちになった。
この一行を書いた人は、三年前の夕方に、たぶん何も考えずに書いている。
考えずに書いたものが、三年後に別紙の百二十七ページに載る。
ヒアリング ―― 十二月の第二週
ヒアリングは弁護士の先生が主で、私たちは記録を取る側だった。
対象は十四人。営業部が九人、経理が三人、役員が二人。一人あたり二時間から三時間。
最初の対象は、元の経理課長だった。五十六歳。二年前に別の部署に移っている。
会議室は窓がない八畳くらいの部屋で、机の上に水のペットボトルが人数分置かれていた。
その人は最初の三十分、「取引そのものはあったんです」と言った。
同じ言葉を、二時間半のあいだに四回言った。
一回目は冒頭。二回目は注文書を見せられたあと。三回目は入金の記録を見せられたあと。四回目は最後に「何か言いたいことは」と聞かれたとき。
四回目のときだけ、少し声が小さかった。
弁護士の先生は四回とも否定しなかった。「はい」と言って、次の質問に行った。
私はその二時間半、ノートパソコンで発言を打っていた。
打ちながら、この人は嘘を言っていないのかもしれないと思った。
商品は、たぶん本当に動いていた。箱が倉庫から出て、トラックに乗って、別の会社の倉庫に入っている。
動いていたが、その動きには売る理由がなかった。利益が二パーセント未満で、九社を一巡して元の会社に戻ってくる。
それを「取引」と呼ぶかどうかの話だった。
部屋を出たあと、廊下で中務さんが「あの人、たぶん自分でも分からなくなってますね」と言った。
私は「そうかもね」と答えた。本当はそうは思っていなかった。
二人目は、営業部の二十九歳だった。入社七年目。
その人は、最初から全部話した。
誰に言われて、どの会社に、どの品番で注文書を出したか。日付まで覚えていた。
覚えていた理由を、弁護士の先生が聞いた。
「毎月の最後の三日に、同じことをやってたので」と答えた。
毎月、最後の三日。四年で、百四十四日ぶんになる。
その人は、途中で一度、「これ、やめたら予算が立たないんです」と言った。
言ってから、「すみません、いまは関係ないですね」と自分で付け足した。
弁護士の先生は、そこでも否定しなかった。
私はその発言を、そのまま打った。「予算が立たない」という言葉も、打った。
報告書の本編には、この発言の要旨が載っている。
中間の報告 ―― 十二月二十四日
委員会への中間の報告で、私たちが出したのは事実の一覧だった。
百八十七組の輪。関与した九社。三十一億円。関わった社内の人間が、少なくとも六人。
六人のうち三人は指示を受けた側だと見られる。
この「見られる」という書き方で、三十分議論になった。
弁護士の先生が、「見られる、は要らないです」と言った。
事実認定のパートに推定を入れると、全体の信頼が落ちる。書けるのは「Aは、Bの指示により注文書を作成したと述べている」まで。述べている、で止める。
私はそれを聞いて、調書の書き方を思い出した。
前の会社の内部監査でも、同じことを言われていた。言われていたのに、忘れていた。
四年やったことを、一年で忘れていた。
最終報告 ―― 二月十三日
調査報告書は本編が八十九ページで、私たちが書いたのは事実認定の章と別紙だった。別紙が二百四十ページある。
結論の部分は委員の先生が書いた。
公表は二月十三日の十六時で、同時に過年度の決算の訂正が発表された。
訂正の額は、売上が三十一億円の減少。利益の影響は六千万円くらいだった。
売上は大きく動いて、利益はほとんど動かない。粗利が二パーセント未満だったからだ。
この数字を見て、私はようやく、この四年のことが少し分かった気がした。
誰も、お金を取っていない。取っていないのに四年続いた。
続いた理由は売上の目標だった。営業部の予算が、毎年三パーセントずつ上がる設計になっていた。
その三パーセントを本当の商売で埋められなかった年が、四年前にあった。
ただ、これは私が思ったことで、報告書には書いていない。
原因の分析は別の章にあって、そこは委員の先生が書いている。
私が書いた章には、日付と枚数と金額しか載っていない。
生活 ―― 三十四歳
年収は八百四十万円だ。前の会社は六百十万円だった。
増えた二百三十万円ぶんが何の対価なのかは、まだよく分かっていない。
残業は、十一月が百二十時間、十二月が百四十時間。一月は八十時間、二月の頭に四十時間。十二月は土曜に四回出た。
家は川を渡ったところにあって、家賃は十一万二千円。妻と二人で住んでいる。
妻はこの案件の名前を知らない。コードネームも言っていない。「紙を数えてる」とだけ言った。
嘘ではない。
身体の話を書くと、指だった。
紙を三日めくって、右手の親指と人差し指の腹が乾いて割れた。絆創膏を巻くと紙がめくれないので、巻かずにハンドクリームを一日に六回塗った。
中務さんがくれたやつを、途中で自分で買った。三百九十円だった。
もう一つ。食事の時間が、ヒアリングの週だけ狂った。
十時から始まって、昼を挟まずに十三時近くまでやる。終わってから食べる。コンビニのおにぎり二個と、カップの味噌汁。
会議室で食べると、さっきまで人が座っていた椅子が見える。
それが二週間続いて、味噌汁を飲むと少し気分が悪くなるようになった。
いまは治っている。
後記 ―― 半年後
六月に、その会社の株価が動いたというニュースを見た。
動いた理由は調査とは関係のない、新しい取引先ができたという発表だった。
元の経理課長は三月に辞めていた。報告書の公表後の人事なので、社内の話では知らない。
辞めたことを知ったのは、転職のサイトで年齢と経歴が一致する登録者を見たからだ。偶然だった。
名前は書かない。
その人が「取引そのものはあったんです」と四回言った部屋は、窓がなかった。
窓がない部屋で二時間半話したことは、記録に残っている。
残っているが、四回言ったという事実は報告書には書かれていない。
書かれているのは「同趣旨の説明を繰り返した」の一行だ。
一行にした判断は、正しかったと思う。
思うが、四回だったことを、私はまだ覚えている。
いまは別の案件にいる。製造業の、原価の計算を作り直す仕事だ。
紙はほとんどない。
この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。
しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。