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体験記 No. 96

「私は、いつまでですか」と、通訳の人が会議のあとで聞いた

案件複合機部品メーカー・中国生産子会社の撤退判断と実行支援
話の中心中間報告
語り手南雲 遼介 / 30歳・中途4年目(前職・精密機器メーカーの海外営業)
読了約8分 · 5,300字
案件の時間軸 ―― 着任から最終報告までの、ひと通り
アサイン
立ち上がり
仮説構築
中間報告
最終報告
二百十人と十九年経済補償金七億円

「畳む前提ではない」と言われて始まった案件の、資料のタイトルは「再構築」だった――南雲が、三案を並べて一つを選んだ五ヶ月の記録。

工場は、十九年前に建てたものだった。

敷地が一万二千平方メートル。建屋が三棟。

働いている人が、二百十人いた。

そのうち、十四年以上いる人が三十一人。

二百十人を、どういう順番で、いくらで、どうするかという紙を、僕が作った。

南雲です。三十歳。中途で入って、四年目になる。

アサイン ―― 二月

クライアントは、複合機の部品を作っている会社だった。

ローラーとギアと、樹脂の小さい部品。売上は二百八十億円くらい。

国内に工場が二つ、中国に一つある。

中国の工場は、十九年前に自社で建てたもので、持分は百パーセント。

依頼の言葉は、「中国拠点の再構築の検討」だった。

キックオフの前に、経営企画の役員の方から、一度だけ電話をもらった。

「畳む前提ではないので、そこは誤解しないでください」

分かりました、と答えた。

答えたあとに、受け取った社内の資料のファイル名を見た。

「華東拠点_再構築_v3」だった。v1とv2は、もらっていない。

フィーは四千二百万円。期間は五ヶ月。

チームは、パートナーの三雲さんが週に一度、マネージャーの樫原さんが常時、それに僕。現地での会計と労務は、別の事務所の方が入る。

僕は前の会社で、精密機器の海外営業を六年やっていた。そのうち三年は上海にいた。

中国語は、話せるというほどではない。会議の内容が半分くらい分かる。

その「半分くらい分かる」が、四月に問題になる。

立ち上がり ―― 三月の第一週

三月の二日に、現地に入った。

成田から二時間半。空港から車で一時間二十分。

工場の周りは、十九年前は何もなかったらしい。いまは物流の倉庫と、別の会社の工場が並んでいる。

総経理は、日本から出ている駐在員の方だった。五十六歳。現地に七年いる。

その人が、最初に工場を案内してくれた。

設備は三十九台あった。

そのうち二十二台が、十九年前に入れたもの。十二台が十年前。五台が五年前。

五年前の五台は、二億八千万円かけて入れたものだった。

「これ、まだ八年は使えます」と、その人は言った。

言い方が、少し強かった。

建屋の中は、三月の上旬で、暖房が入っていなかった。

息が白くなるほどではないが、手が冷たくなる。

作業している人は、上着を着たまま座っていた。

食堂で昼を食べた。炒め物が三品と、ご飯とスープ。十五元だった。

味は覚えていない。覚えているのは、食堂に三十人くらいいて、誰も僕を見なかったことだ。

見なかったのは、たぶん、前にも同じような日本人が来ているからだと思った。

なぜ畳む話になるのか

数字は、はっきりしていた。

この工場の売上は、五年前が四十八億円で、去年が二十九億円だった。

減った理由は二つある。

一つは、複合機そのものの出荷が落ちていること。紙を使う量が減っている。

もう一つは、この工場の人件費だった。

十九年前に建てたときの一人あたりの人件費を一とすると、いまは四・三倍になっている。

一方で、部品の単価は下がっている。複合機のメーカーから、毎年二パーセントから三パーセントの値下げを求められる。

四・三倍と、毎年二パーセント減が、十九年あった。

去年の営業利益は、マイナス一億四千万円だった。

三年連続で赤字で、本社からの貸付が累計で十一億円ある。

これを見れば、やめる話になる。

ならないほうが不思議だった。

三つの案を積む ―― 三月から四月

案は三つに絞った。

一つ、清算する。工場を止めて、人を解雇し、設備を売って、会社を消す。

二つ、現地の会社に譲渡する。株ごと売る。

三つ、規模を縮小して残す。人を半分にして、国内に出せない品番だけ作る。

この三つのコストを積むのに、六週間かかった。

いちばん面倒だったのは、一つ目の人の部分だった。

中国で工場を閉じるときに払うのは、経済補償金という。

勤続の年数に応じて、月給の何ヶ月ぶんかを払う。実務では、そこに一ヶ月ぶんを足した水準から交渉が始まることが多い。

これを二百十人ぶん、一人ずつ積んだ。

名簿に、入社した年月と、直近十二ヶ月の平均の賃金が入っている。それで計算する。

合計が、四億一千万円だった。

ただ、これは法律の線でしかない。

実際には、工会との協議がある。過去の事例では、法律の線より上で妥結している。

別の事務所の方が、「この地域だと、一・五倍から一・七倍を見ておいたほうがいい」と言った。

一・七倍にすると、七億円になる。

七億円。これが、清算の案のいちばん大きい数字だった。

設備の処分で戻ってくるのは、五年前の五台を売っても、たぶん六千万円くらい。

土地の使用権は、残りが二十一年ある。これは譲渡できるので、評価が付く。

全部足して引いて、清算の案は、出ていくお金が五億四千万円だった。

譲渡の案が安い理由

二つ目の譲渡の案は、出ていくお金がもっと少なかった。

株を売るので、経済補償金を自分で払わなくていい。雇用が買い手に引き継がれる。

試算では、出ていくお金が一億二千万円で済む。

数字だけ見れば、これが最善だった。

問題は、買う人がいるかどうかだった。

僕は、買いそうな相手を十一社リストアップした。

同業の現地のメーカーが六社。樹脂の成形をやっている会社が三社。投資をやっている会社が二社。

このうち、実際に接触できたのは四社だ。

四社のうち、二社は最初から断った。一社は、設備だけ買いたいと言った。残りの一社だけ、話が続いた。

その一社が出してきた条件は、「複合機の部品の受注を、三年ぶん保証してほしい」だった。

保証できない。複合機の出荷が落ちているのが、そもそもの原因だからだ。

譲渡の案は、金額がいちばん安くて、成立する確率がいちばん低かった。

四月、僕がやった失敗

四月の中旬に、二度目の現地出張に行った。

このとき、僕は現地の生産管理の課長と、二回、通訳を通さずに話した。

中国語でやった。半分くらいしか分からないので、何度も聞き返した。

聞き返しながら話すと、相手が丁寧に言い直してくれる。そのぶん、本当のことが出てくる。

出てきたのは、設備の稼働の実態だった。

二十二台の古い設備のうち、七台はこの一年、一度も動いていない。

本社に出している稼働の報告では、動いている扱いになっていた。

これは大きい発見だった。

発見だったので、僕はすぐに樫原さんに報告した。

樫原さんは、まず「よく出たね」と言った。

言ったあとに、「総経理には、誰から話す?」と聞いた。

その日の夕方、総経理の方に呼ばれた。

会議室ではなく、総経理室の前の廊下だった。

「南雲さん、あれ、やめてもらえますか」

あれ、が何かはすぐ分かった。

その人は怒っていなかった。怒っていない言い方のほうが、こたえた。

「僕が聞いたら、七台のことは言ってもらえましたか」と、僕は言った。

言ってしまった。

その人は、少し黙ってから、「言わなかったと思います」と答えた。

それから、「でも、順番があるんです」と言った。

順番の話は、そのとき納得できなかった。

いまも、半分しか納得していない。

中間報告 ―― 五月二十二日

中間報告は、現地の工場の会議室でやった。

出席は、本社から役員が二人。現地から総経理と、現地の管理職が四人。通訳が一人。

現地の管理職が入るので、会議は日本語と中国語の両方で進む。

資料は、三案の比較だった。

出ていくお金。かかる時間。確実さ。顧客への供給が続けられるか。

四つ目が、途中で論点になった。

複合機のメーカーとの契約に、部品の供給を生産の終了から十年続ける条項が入っていた。

十年。これは僕が契約書を読むまで、誰も資料に書いていなかった。

清算する場合、この十年ぶんの部品を、国内の工場で作るか、どこかに在庫を積むしかない。

積む在庫の金額を試算したら、二億三千万円だった。

この二億三千万円を足すと、清算の案と縮小の案の差が、思っていたより小さくなった。

会議は、三時間半かかった。

結論は出なかった。本社に持ち帰ることになった。

会議のあと

会議が終わって、僕は資料を片付けていた。

通訳をやっていた方が、近くに来た。

三十代の女性で、この工場の総務に所属している。通訳が専任ではなく、総務の仕事と兼務だと聞いていた。

その人は、僕に日本語でこう聞いた。

「私は、いつまでですか」

僕は、答えられなかった。

答えられないのは、決まっていないからではない。

三案のどれでも、総務の仕事は最後まで残る。残るから、たぶんその人はいちばん後になる。

いちばん後になるというのは、いちばん長く、人が減っていく工場にいるという意味だ。

それを言葉にして言う権限が、僕にはなかった。

僕が言ったのは、「まだ決まっていません」だった。

その人は「分かりました」と言って、会議室の机を拭き始めた。

机を拭く仕事も、総務の仕事らしい。

工会の代表の方には、五月の出張で一度会った。

四十八歳で、この工場に十六年いる。もとは成形の現場にいた方だった。

その人は、会議ではなく、建屋の外の喫煙所の近くで話してくれた。

聞いたのは、工場の人が何を心配しているかだった。

いちばん多いのは、お金ではないと言われた。

「いつ言ってくれるか」だと言われた。

決まっているのに言わない期間がいちばん嫌われる、という意味だった。

その話を聞いたあと、僕は資料に「公表の時期」という欄を作った。

作ったが、最終報告では八ヶ月後になった。

最終報告 ―― 七月十八日

決まったのは、清算だった。

ただし、二年かけてやる形になった。

一年目に、国内に移せる品番を移す。二年目の上期で生産を止めて、下期で手続きをやる。

十年ぶんの在庫は、積まない方針になった。国内の工場で、年に一回だけ作る形にする。

経済補償金は、法律の線の一・六倍を上限として交渉する前提で置いた。

公表は、翌年の三月の決算の発表に合わせることになった。

最終報告の資料は、本編が六十二ページ、別紙が百八十ページだった。

役員の方が、最後に「これでいきます」と言った。

そのあとに、「南雲さん、現地には言わないでください」と言った。

言わないでください、というのは、公表までの八ヶ月のことだった。

生活 ―― 三十歳

年収は七百九十万円だ。

前の会社は五百八十万円だった。駐在のときは手当がついて七百万円くらいあった。

家賃は九万六千円。独りで住んでいる。

この案件の残業は、月に六十時間から八十時間だった。移動の時間は残業に入らない。

出張は、五ヶ月で四回。一回が四泊か五泊。

身体のことを書くと、腰だった。

機内の三時間弱で、腰の右の下のほうが固くなる。

着いた日の夜は、ホテルでストレッチをする。それでも二日くらい痛い。

四回目の出張のあと、整骨院に行った。一回四千円で、三回通った。

もう一つ。三月と四月に、咳が続いた。

二週間くらい、朝に出る。現地の空気のせいだと思っていた。

病院で診てもらったら、乾燥だと言われた。

工場の建屋が乾いていて、ホテルの部屋も乾いていた。

加湿器を買った。三千六百円のもので、日本の家で使っている。

後記 ―― 一年半後

去年の三月に、公表された。

ニュースにはほとんど出なかった。中堅の会社の、海外の子会社一つの話だからだ。

生産は、予定より三ヶ月遅れて止まったらしい。

遅れた理由は、国内に移した品番で、品質が出なかったからだと聞いた。

経済補償金は、法律の線の一・五倍で妥結したと聞いている。

総額は、六億三千万円くらいになったらしい。僕が置いた七億円より、少し少ない。

少なかったことを、僕は良かったとは思わなかった。

総経理の方は、公表の二ヶ月後に帰任して、いまは国内の工場にいる。

五年前に入れた五台の設備は、三台が国内に移った。二台は現地で売れたらしい。

通訳をやっていた方のことは、分からない。

去年の秋に、現地の管理職の一人からWeChatで写真が送られてきた。

建屋の中が写っていて、設備がない。床に、設備が置いてあった跡の四角い線が残っていた。

線だけが残っている写真だった。

返事に何を書けばいいのか、三日考えた。

結局、「ありがとうございます」と、工場の写真を見たという一行だけ送った。

いまは国内の案件にいる。別の会社の、工場の再編の話だ。

国内なので、飛行機に乗らない。腰は、まだ少し痛い。

ことわり

この体験記はフィクションです。実在の企業・案件・人物とは関係ありません。

しかし、あなたが経験するであろうコンサルライフに、限りなく近い何かかもしれません。

この話の翌週、あなたなら何をする?

同じ現場に立ったとき、どう動くタイプなのか。16問で当たりをつけられます。

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